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宣王 せんおうXuān wáng

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世界大百科事典 第2版の解説

せんおう【宣王 Xuān wáng】

?‐前301
中国,戦国斉の王。在位,前319‐前301年。威王の子。名は辟彊(へききよう)。即位の年に魏が韓,趙と戦うと,魏の疲弊を待ってこれを攻めて三晋の地を平定。さらに燕の内紛に乗じてその国都を攻略した。そのため斉の勢力は東方諸国中最大となり,都の臨淄(りんし)は繁栄を極めた。また王は,城西の稷門(しよくもん)付近に邸宅をしつらえて学者を優遇したので,鄒衍(すうえん),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん)ら天下の文学遊説の士が雲集して文化学術の中心となり,いわゆる稷下(しよくか)の学を形成した。

せんおう【宣王 Xuān wáng】

中国古代,西周末期の周王。生没年不詳。在位,前827‐前782年。周の厲(れい)王が暴政を行ったため位を追われ,共和の制(前841)が敷かれたが,やがて厲王の太子の姫静が成人すると,周公と召公の後押しで即位した。これが宣王である。宣王は諸侯をなつけるとともに北西の玁狁(けんいん),南東の淮夷など異民族の討伐を行って,西周王朝の中興に成功したとされる。《詩経》の〈六月〉や〈江漢〉などの篇が宣王の外征を賛美する。

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世界大百科事典内の宣王の言及

【春秋戦国時代】より

…しかし西方の秦が魏の進出を阻止したので,東に力を向け,都も安邑(山西省解県)から大梁(河南省開封)にうつし,前354年に趙の都邯鄲(河北省邯鄲)を攻め,前343年には南の韓に侵攻したが,いずれも救援の斉に敗れ,以後勢を失うにいたった。魏を抑えた斉は前4世紀の後半に極盛期を迎え,威王(在位,前356‐前320),宣王(在位,前319‐前301)のときには,都の臨淄は最も繁栄した都市となり,諸国から多数の学者が招かれ,自由な討論研究が許された。外へは,当時北に勢力を拡大していた燕を攻め,前314年には燕の基幹である河北地方の全域を一時占領するに至った。…

【稷門】より

…中国,斉の都臨淄(りんし)の城門の名。戦国斉の盛時,学問を愛好した威王や宣王は学者を招き,稷門付近に邸宅を建てて住まわせ,多額の生活費を与えて論争や著述に従事させた。その数は数百人から1000人にものぼり,稷下の学士とか稷下先生とよばれた。…

※「宣王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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