日本大百科全書(ニッポニカ) 「李益」の意味・わかりやすい解説
李益
りえき
(748―829?)
中国、中唐期の詩人。字(あざな)は君虞(くんぐ)。隴西姑臧(ろうせいこそう)(甘粛(かんしゅく)省武威(ぶい))の人。生家は鄭(てい)州(河南省)にあった。769年(大暦4)の進士。初め華州(陝西(せんせい)省)鄭県の尉(い)となり、のちに主簿(しゅぼ)となった。久しく不遇で、幽州(河北省)や邠寧(ひんねい)(甘粛省)の節度使の幕僚を務める。元和年間(806~820)に中書舎人、河南府少尹(しょういん)、秘書少監、集賢殿学士を歴任し、827年(太和1)に礼部尚書となった。傲慢(ごうまん)で嫉妬(しっと)深かったという。詩歌に長じ、同時代の李賀(りが)とともに文名を並び称された。辺塞(へんさい)の悲壮感を歌った七言絶句は、盛唐の高適(こうせき)、岑参(しんしん)の詩風に連なる。
[丸山 茂]