精選版 日本国語大辞典 「車坂」の意味・読み・例文・類語 くるまざか【車坂】 東京都台東区上野七丁目、東上野三丁目にあたる旧地名。寛永三年(一六二六)東叡山寛永寺の門前町として町屋を開いたのに始まる。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「車坂」の解説 車坂くるまざか 京都市:北区鷹ヶ峰車坂賀茂(かも)から雲ヶ畑に通じる道にある坂。「扶桑京華志」は「里民曰、昔シ高野ノ帝、将迎弓削道鏡鸞駕到此ニ因テ名ク」と称徳天皇が道鏡を迎えるのに鸞駕をこの地までさしむけたという伝承を掲げて、地名の由来を説明する。一方「山州名跡志」は「在賀茂乾間十四五町 此坂ヲ号車坂ハ、往昔惟喬親王小野ニ閑居シ玉フ時、此所マデ乗車シ玉ヒ、自是嶮路ナルヲ以テ、車ヲ此所ニ留玉ヘリ、故此号アリト」とし、惟喬親王にまつわる説を載せる。 車坂くるまざか 和歌山県:和歌山市和歌山城下岡車坂[現在地名]和歌山市車坂一丁目・鷹匠(たかじよう)町五―七丁目鷹匠町の西南、吹上(ふきあげ)地区の寺(てら)町付近の寺院群東南に位置する東西の通り。文政一三年(一八三〇)の御触書写(道成寺文書)には「車坂西上り口より上迄建家之所を車坂丁」とあり、この年に町名がつけられた。同年の丁名増改時略図(田中家蔵)にも「車坂丁 凡七十七間余」が図示される。昔、小栗判官が車で熊野の温泉にかよったので車坂と名付けられたとか、熊野御幸がすべて此道を通るので、鳳輿の轍をそのまま坂の名とした、という話がある(紀伊名所図会)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報