「三国志」の英雄たち

故事成語を知る辞典 「「三国志」の英雄たち」の解説

「三国志」の英雄たち

紀元前二二一年、史上初めて、中国全土を支配した王朝しんは、急激な改革政策がひずみを生み、わずか一五年で崩壊してしまいます。しかし、その後を承けた前漢王朝は、約二〇〇年の長きにわたって存続し、後々、受け継がれる中華帝国の基礎を築きました。

■この王朝は、紀元後八年にいったん滅びますが、すぐに再興されます。それが、後漢王朝。後漢も約二〇〇年続きますが、一八四年に起こった「こうきんの乱」という反乱をきっかけに、急速に弱体化していきました。ここから、中国全土が再統一されるまでの約一〇〇年間が、いわゆる「三国志」の時代です。

■後漢王朝の衰退に伴う混乱の中から、まず頭角を現したのは、若いころに「月旦という人物評価で「乱世かんゆう」と呼ばれた、曹操そうそうでした。彼は、冷静な判断力と剛胆な行動力とで、次第に中国北部を勢力範囲に収め、やがてという国を建てることになりました。

■それに対して、中国南部のという地方では、そんけんという若者が地盤を築きつつありました。彼の下には、「呉下の阿蒙で知られるりょもうをはじめとして、有能な部下たちが集まっています。また、放浪豪族りゅうは、「三顧の礼しょかつりょう(通称はこうめい)を補佐役に迎え、第三勢力となるべく、機会をうかがっていました。

■二〇八年、魏の曹操は、天下統一をかけて、ついに中国南部へと軍を進めました。迎え撃つのは、孫権と劉備との連合軍。この「せきへきの戦い」で、曹操は手痛い敗北を喫し、天下統一の野望は挫かれました。そして、魏の曹操、呉の孫権、そして現在の四川省にあたるしょくを手に入れた劉備の三つの勢力が、しのぎを削る時代になったのでした。

■蜀では、劉備の死後も、「泣いて馬謖を斬るで知られる諸葛亮が奮闘を続けますが、彼が亡くなった後、魏によって滅ぼされてしまいます。その魏も、家臣によってのっとられて西せいしんという王朝に取って代わられ、二八〇年、その西晋が呉を滅ぼしたことによって、混乱の時代に終止符が打たれたのでした。

■なお、この時代のできごとは、「後漢書」や「三国志」といった歴史書に記録されています。また、かなりのフィクションを織り交ぜた「三国志演義」もよく読まれ、「苦肉の策などの故事成語を生み出しています。

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