月旦(読み)げったん

精選版 日本国語大辞典 「月旦」の意味・読み・例文・類語

げっ‐たん【月旦】

〘名〙
① 毎月のはじめの日。月の初日。月朔。朔日。
正法眼蔵(1231‐53)陀羅尼「安居のはじめをはり、冬年および月旦・月半、さだめて焼香礼拝す」
② (━する) 「げったんひょう(月旦評)」の略。
即興詩人(1901)〈森鴎外訳〉歌女女客の来て座を占むるあれば、ベルナルドオ必ずその月旦を怠ることなし」 〔劉峻‐広絶交論〕

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デジタル大辞泉 「月旦」の意味・読み・例文・類語

げっ‐たん【月旦】

月の初めの日。ついたち。
月旦評」の略。「人物月旦

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故事成語を知る辞典 「月旦」の解説

月旦

いろいろな人物の性格や仕事などを、あれこれと論評すること。

[使用例] 卒業の後文学者の仲間入はしたものの、つい三、四年ほど前までは、更に月旦に登るような著述もなかった[永井荷風*つゆのあとさき|1931]

[使用例] 管理人の女房は、それが尋問の板についた技術とも知らず、部下思いの部長心遣いに感服しながら、いっしょに落合人物月旦をやったに違いなかった[高橋和巳*日本の悪霊|1969]

[由来] 「漢書きょしょう伝」に載っている話から。後漢王朝も末期の二世紀の終わり、ある地方の名士だった許劭きょせいといういとこ同士は、「月旦(毎月一日)」に、テーマを決めてその地方の人物について語り合うのを、趣味のようにしていました。この地方では、それが「月旦の評」という風習になっていたそうです。

[解説] ❶本来は、いろいろな人物について、あれこれと評価することを表すことば。後に意味が広がって、一人の人物について論評することを指しても使われるようになりました。同僚との飲み会で人事のうわさ話をするのも、「月旦」の一種でしょう。❷後に「三国志」の英雄の一人として活躍する曹操そうそうが、若いころ、許劭の評判を聞きつけて、自分の評価を聞きに行ったという話も有名。「治世の能臣乱世かんゆう(平和な時代ならば有能な官僚、乱世ならば悪者ボスだ)」と言われた曹操は、喜んで立ち去ったとのことです。相手に媚びずに「乱世の姦雄」とズバッと言ってのける許劭も許劭なら、それを笑って受け入れる曹操も曹操。二人の器量がよく伝わってくる、興味深いエピソードです。

〔異形〕月旦評/月旦の評/人物月旦/許劭月旦。

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普及版 字通 「月旦」の読み・字形・画数・意味

【月旦】げつたん

朔日。また、人物批評。〔後漢書、許劭伝〕初め劭、(許)に高名り。好んで共に黨の人物を覈論(かくろん)す。輒(すなは)ち其の品題を(あらた)む。故に汝南の俗に、り。

字通「月」の項目を見る

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改訂新版 世界大百科事典 「月旦」の意味・わかりやすい解説

月旦 (げったん)
yuè dàn

語の本来の意味は,毎月の朔(ついたち)のこと。後漢末,汝南(河南省汝南県)の許劭が従兄の許靖と毎月朔に郷党の人物を品評,月旦評とよばれたことから人物批評を意味する。後漢中期より宦官一派が政権を壟断(ろうだん),儒家の士大夫から批判がおこった。この批判は高官から在野に及ぶ士大夫層の人物批評,序列づけを行い,それに基づく政府を構想する形で展開された(清議)。党錮の禁で弾圧されるが,民間に隠然たる勢力として存続,月旦評はその著名な例である。
九品官人法
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「月旦」の意味・わかりやすい解説

月旦
げったん

「月旦評」の略で、人物批評のこと。「月旦」は月の初め、毎月の朔日(ついたち)をいう。中国、後漢(ごかん)の許劭(きょしょう)は従兄弟(いとこ)の靖(せい)とともに、郷里の人々の人物を評するのを楽しみとし、月旦にはその主題を変えることとしていたので、以来、汝南(じょなん)の地に月旦評の風習が広まったと、『後漢書(ごかんじょ)』「許劭伝」は伝える。

[田所義行]

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