百科事典マイペディア の解説
キュチュク・カイナルジャ条約【キュチュクカイナルジャじょうやく】
→関連項目露土戦争
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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1774年7月,オスマン帝国とロシアとの間に結ばれた講和条約。キュチュク・カイナルジャは南東ブルガリアの地名。この条約はオスマン帝国にとって,アゾフなど黒海北岸の割譲,クリム・ハン国の自立,黒海におけるロシア船の自由航行権の承認など,長く維持していた黒海地域への独占的な支配権の喪失を意味した。一方ロシアにとっては,オスマン帝国領内の正教徒に対する保護権を認めさせるなど,南下政策を大きく前進させるものとなった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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