コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ボスポラス海峡 ボスポラスカイキョウ

6件 の用語解説(ボスポラス海峡の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ボスポラス‐かいきょう〔‐カイケフ〕【ボスポラス海峡】

Bosporus》トルコ北西部にあり、黒海マルマラ海とを結ぶ海峡。ダーダネルス海峡とともにヨーロッパアジアの境界をなし、古くから軍事・交通の要地。2本の道路橋が架かるほか、2013年には海底鉄道トンネルが開通。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ボスポラス海峡【ボスポラスかいきょう】

トルコ語ではカラデニズ海峡。黒海マルマラ海を結ぶ海峡。長さ約30km,幅0.5〜2.5km。水深50〜70m。マルマラ海の入口にイスタンブールがあり,軍事・交通の要地となっている。
→関連項目アナトリアイオキュチュク・カイナルジャ条約

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ボスポラスかいきょう【ボスポラス海峡 Bosporus Straits】

トルコ北西部,ヨーロッパとアジア両大陸を分け,マルマラ海と黒海を結ぶ海峡。全長32km,幅0.5~2.5km,平均深度50~70m。ボスポラス海峡は,黒海からマルマラ海とダーダネルス海峡を経て地中海へ至る通路にあたり,ビザンティン帝国の重要な通商路であった。1453年以来オスマン帝国の管理下におかれ,18世紀以降ロシアの南下とともに近代ヨーロッパ政治史上海峡の支配権と通行権をめぐるいわゆる〈海峡問題〉の焦点となってきた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ボスポラスかいきょう【ボスポラス海峡】

〔Bosporus〕 トルコ北西部、黒海とマルマラ海とを結ぶ海峡。最狭部800メートル。ダーダネルス海峡とともに、ヨーロッパとアジアとを分ける重要な国際水路。 → イスタンブール

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボスポラス海峡
ボスポラスかいきょう

イスタンブール海峡」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボスポラス海峡
ぼすぽらすかいきょう
Bosporus Strait

黒海とマルマラ海を結ぶ海峡。ダーダネルス海峡とともに小アジアとヨーロッパの接点となっている。長さ30キロメートル、幅0.6~3キロメートル。両岸は比較的切り立っている。ペルシア戦争のおり、アケメネス朝ペルシアダリウス1世は、トラキア攻撃のため船橋をもって通過したといわれる。ギリシア植民都市として海峡の入口にビザンティウムが成立し、330年コンスタンティノープルと改名されローマ帝国の首都となり、この繁栄によって海峡は黒海方面の交易ルートとして重要となった。オスマン朝は、アジア岸にアナドル・ヒサル、反対岸にルメリ・ヒサルを築きボスポラス海峡を制圧し、1453年コンスタンティノープル(1457年イスタンブールと改名)を占領。以後、黒海はオスマン帝国の内海となり、海峡の外国船の航行は禁止された。18世紀ロシアは黒海北岸に進出、海峡の自由通航権を要求し、1774年クチュク・カイナルジ条約により、地中海への出口を確保した。その後、ヨーロッパ諸国も同様な権利を得、オスマン帝国のボスポラス海峡支配は弱まった。1841年、イギリスフランスプロイセンオーストリア、ロシアの各国は、海峡協定を定め、平時の外国軍艦の無許可通航を禁止した。第一次世界大戦にオスマン帝国が敗れると、1918年国際海峡委員会が成立し、海峡の管理を行い海峡地帯を非武装化した。トルコ共和国成立後の1936年、モントルー条約により、国際海峡委員会、海峡非武装化が廃され、若干の制限があるもののボスポラス海峡はトルコ共和国の主権下に入った。1973年に1本目、1988年に2本目の海峡横断の吊橋(つりばし)が架けられ、さらに2013年には海峡横断鉄道トンネルが完成した。[設楽國廣]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のボスポラス海峡の言及

【海峡問題】より

…一般には黒海と地中海を結ぶダーダネルス,ボスポラス両海峡の軍艦の通航権をめぐる国際紛争を指す。今日では重要な海上輸送路にあたるマラッカ,ホルムズ両海峡,さらに,海軍力の通過する他の海峡についても関心がはらわれている。海峡は,歴史的に,異なる文明や地域間の十字路として象徴的な意味が与えられてきた。とくに,頻繁な海上交通路にあたる海峡付近には交易の拠点が,戦略上の重要性が意識される海峡には軍事基地が,設けられてきた。…

※「ボスポラス海峡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ボスポラス海峡の関連キーワードベックマンボガズキョイBOティーン聖母教会オボ国立公園B/Oボ・ディドリーÅbobo treeBožidaroviĉ,N.

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ボスポラス海峡の関連情報