スーダン帰属問題(読み)スーダンきぞくもんだい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スーダン帰属問題」の意味・わかりやすい解説

スーダン帰属問題
スーダンきぞくもんだい

スーダン地方(→スーダン南スーダン)がナイル川上流に位置し,灌漑などエジプト経済の鍵を握る地域であるところから,西欧列強やエジプト,トルコによって 19世紀以来その帰属をめぐり展開された係争。1877年以来イギリスの植民地支配下にあったスーダンは,1881年ムハンマド・アフマドによるマフディーの反乱によって一時独立国となったが,1898年のファショダ事件以降フランスの影響を排除したイギリスによって滅ぼされ,エジプト,イギリス共同統治のかたちで,事実上イギリスの植民地となっていた。第1次世界大戦後イギリス,エジプト関係の悪化と並行してスーダンの民族運動も活発になっていったが,アラブ黒人との民族的,宗教的対立がからまり,運動の分裂に苦しんだ。第2次世界大戦後エジプトは「ナイル渓谷の統一」の名のもとにスーダン併合を目指し,特に 1951年10月アメリカ合衆国,イギリス,フランス,トルコの 4ヵ国間で中東防衛条約交渉が進められると,エジプトはこれに対抗して対英条約を廃棄するとともに,議会でスーダン併合法案を可決した。しかし,1952年のエジプト革命後ナギーブ政権が併合案を放棄したため,1953年2月スーダン独立の方向でイギリスとの間に協定成立。1956年1月1日,スーダンが独立を宣言した。

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