マフディーの反乱(読み)マフディーノハンラン

デジタル大辞泉 「マフディーの反乱」の意味・読み・例文・類語

マフディー‐の‐はんらん【マフディーの反乱】

《〈アラビア〉Mahdīは救世主の意》1881年、みずからマフディーと称するムハンマド=アフマドが、スーダンイスラム教徒を率いて、外国支配からの解放独立をめざして起こした反乱。1898年、イギリス・エジプト連合軍により鎮圧された。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マフディーの反乱」の意味・わかりやすい解説

マフディーの反乱
マフディーのはんらん

19世紀末にスーダンで起ったイギリス統治に対する反乱。マフディーとはアラビア語で「導かれた者」の意で「救世主」を意味する。幾多の戦乱と,イギリスを後見とするエジプト支配に悩まされていた民衆の間に「救世主」崇拝が高まるなか,1881年にムハンマド・アフマドはマフディーと称し,この反乱を通じて,終末論的なジハード (聖戦) を目指すイスラム教団を形成。スーダン人の民族意識を高揚させることになった。スーダン総督の命を受け鎮圧にのぞんだエジプト軍は各地で敗れ,マフディーの名声は高まった。 85年にマフディー軍はハルツームで C.ゴードン前総督を殺し,エジプト領スーダン全域を手中にし,オムドルマーンに都を築いた。ムハンマド・アフマドが死ぬと,アブド・アッラーフ・ブン・ムハンマドが継承したが,98年にイギリス軍に鎮圧された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「マフディーの反乱」の解説

マフディーの反乱
マフディーのはんらん
Mahdī

1881年から98年まで行われたスーダンのイスラーム教徒の反英戦争
指導者ムハンマド=アフマドはマフディー(アラビア語で“救世主”の意)と称し,マフディー国家を建ててイギリスの進出抵抗し,イギリスの総督ゴードンを戦死させた。アフマドは1885年に死亡したが,その後も抵抗は続き,イギリスのアフリカ縦断政策支障を与えた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android