ナシメント(読み)なしめんと(英語表記)Milton Nascimento

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナシメント」の意味・わかりやすい解説

ナシメント
なしめんと
Milton Nascimento
(1942― )

ブラジルの歌手。リオ・デ・ジャネイロで生まれ、ミナス・ジェライス州で育つ。サン・パウロ、リオ・デ・ジャネイロ、バイアに挟まれたこの州は独自の自然環境と文化の歴史をもつ。ベロ・オリゾンテトレス・ポンタスという町を中心に数多くのミュージシャンが生まれており、彼らは「クルベ・ダ・エスキーナ(街角クラブ)」のミュージシャンと呼ばれた。クルベ・ダ・エスキーナは、サンバトロピカリズモの拠点となったファベーラスラム街)と似た意味をもっている。クルベ・ダ・エスキーナのミュージシャンたちがつくり出す響きはミナスサウンドヨーロッパの中世・ルネサンスの教会音楽、ブラジル内陸部先住民族の音楽が混交したミナス・ジェライス地方独自の音楽伝統を現代化したもの)ともいわれ、アメリカ合衆国のジャズフュージョンにも多大な影響を与えた。

 ナシメントはそうしたミュージシャンの中心人物であるだけではなく、世界的に最も有名なブラジルの歌手・作曲家の一人でもある。ボサ・ノバ、ミナス・ジェライスの民謡、アンデス音楽やスペイン語圏のヌエバ・カンシオン(新しい歌)、ファド、ロック、ジャズ、ヨーロッパの宗教音楽などが溶け合った、リリカルだが躍動的なサウンドやメロディ、高音で透明感のある歌声で世界的に高い人気を得た。

 母親の死後、彼女が家政婦として働いていた家庭の養子となり、3歳のとき、トレス・ポンタスに引っ越す。養父母の家庭は温かいものだったが、彼だけが黒人であったため、周囲のあらぬ噂などで苦労した経験もあるという。しかし、養父がラジオ局に勤務していたこともあり、子供のころから幅広く音楽に親しみ、ハーモニカ、ギターを演奏する。10代のころ、後にアレンジャー、キーボード奏者として彼を支えることになるバグネル・チゾWagner Tiso(1945― )と親交を結び、音楽活動を開始する。

 1963年州都ベロ・オリゾンテに出る。ここで、やはり彼を支えることになるミュージシャンと出会い、また、マイルス・デービス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクチャールズ・ミンガスらの音楽を聴く。当初は他人の曲を歌っていたが、やがて作曲を始める。その後サン・パウロに向かう。66年にはエリス・レジーナが彼の曲を歌い、注目を集めるが生活はなり立たないといった苦闘のときが続き、いったん、ベロ・オリゾンテに戻りナイトクラブで歌っていた。67年にアゴスチーニョ・ドス・サントスAgostinho Dos Santos(1932―73)がアルバムで彼の曲を取り上げ、ナシメントは一躍有名になる。ドス・サントスは映画『黒いオルフェ』(1959。監督マルセル・カミュMarcel Camus(1912―82))のサントラ曲を歌い有名な歌手だった。ドス・サントスが取り上げた曲の1曲が「トラベシア」で、これは長く世界中でカバーされている名曲である。同年この曲を含む最初のアルバム『ミルトン・ナシメント』を録音。その後アメリカで『コーリッジ』(1968)、ブラジルで『ミルトン』『ミルトン・ナシメント』(ともに1969)と快調に録音を進め、ツアーも行って世界的にも有名になる。

 71年には仲間たちとリオ北部のビーチに家を借り、集団で曲をつくる。ここでの作曲活動は、ロー・ボルジェスLôBorges(1952― )との共同名義の2枚組アルバム『クルベ・ダ・エスキーナ1』Clube Da Esquina 1(1972)として結実する。これ以前のナシメントのアルバムは、ブラジルにしろ、アメリカにしろ、すでに名前のあるミュージシャンたちを集めてつくられたものだったのに対し、これはチゾをはじめとした昔からの友人、仲間や彼らのネットワークが集結した画期的な作品で、ミナス・サウンドの最初の一歩となったアルバムである。

 その後も活発に活動し、独創的なサウンドに磨きをかけていく。80年代に入ってからは、よりスピリチュアルな傾向を強め、盟友チゾもアフリカ、ヨーロッパ、アメリカのミュージシャンたちとの関係を深め、世界的に広がるダイナミックなネットワークを活かしたサウンドをつくる。そのほかの代表作には、ウェイン・ショーターとの共演作『ネイティヴ・ダンサー』『ミナス』(ともに1975)、『ジェライス』Geraes(1976)、『クルベ・ダ・エスキーナ2』Clube Da Esquina 2(1978)、『アニマ』Anima(1982)、『ミルトンズ』Milton's(1989)、『ナシメント』Nascimento(1997)などがある。

[東 琢磨]

『クリス・マッガワン、ヒカルド・ペサーニャ著、武者小路実昭・雨海弘美訳『ブラジリアン・サウンド――サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(2002・シンコー・ミュージック)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナシメント」の意味・わかりやすい解説

ナシメント
Nascimento, Francisco Manuel do

[生]1734.12.23. リスボン
[没]1819.2.25. パリ
ポルトガルの詩人。筆名 Filinto Elísio。おそらく私生児として生れた。イエズス会に入り,1754年聖職についた。 68年アロルナ侯爵の娘たちの教師となるが,そのうちの一人 (詩のなかの「マリア」) と恋に落ち,侯爵の告発により宗教裁判にかけられそうになり,パリに逃れた。ボカージェとともにロマン主義の先駆者の一人。その作品は故国への大きな愛を吐露している。『フィリント・エリージオの詩集』 Versos de Filinto Elísio (8巻,1797~1802) ,『全集』 Obras Completas (11巻,17~19) のほか,シャトーブリアンの『殉教者』,ラ・フォンテーヌの『寓話詩』などの翻訳がある。

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