翻訳|samba
ブラジルのアフリカ系住民による集団的なダンス、またはその音楽とリズム。もとはアフリカからの奴隷によって伝えられた輪舞(バトゥーキbatuque)の踊り方を意味していたが、のちに社交ダンスとしても広まった。サン・パウロの田舎(いなか)風サンバは2拍子で、3度平行の歌と、というシンコペーションのリズムを特徴とする。この田舎風サンバは黒人がカーニバルに参加することによってしだいに都会化され、1920年代には、とくにリオ・デ・ジャネイロでカーニバル・サンバとしてのスタイルを確立した。さらに30年代に入ると、サンバ・カンサウンsamba canção(歌謡サンバ)を代表とする社交ダンス化したサンバがダンスホールで踊られるようになる。
伴奏形態は、田舎風サンバの簡単な打楽器アンサンブルからカーニバル・サンバにおけるサンバ独自のパーカッション(打楽器)群、そして社交ダンスの華麗なオーケストラに至るまでさまざまである。踊り手は体を揺すりながら、前後に激しくステップを踏む。第二次世界大戦後、アメリカ合衆国のポピュラー音楽の影響を受けてサンバはより現代的になり、都会の白人向けサンバとしてのボサ・ノバが生まれた。
[由比邦子]
『由比邦子著『ポピュラー・リズムのすべて』(1996・勁草書房)』
サンバには次の二つがある。
(1)ブラジルのサンバsamba 同国の代表的な民俗舞踊,大衆音楽。その名称も踊りやリズムも源はアフリカから来たとされ,テンポの速いものから遅いものまで幅広く包含するが,共通点としては2/4拍子で絶えまなく揺れ動き続ける感じがあり,基底にアフリカ音楽の血が流れていることは確かである。19世紀の終りごろ,リオ・デ・ジャネイロ郊外に工場地帯が造成されたあと,北東のサルバドル市から流入した黒人労働者たちが輪になっての踊りや,カーニバルの行列の風習などを持ち込み,それがサンバに発展したようだが,19世紀後半にリオで盛んだった〈ショーロ〉〈マシーシ〉などの都会的な音楽もサンバに吸収されていった。1917年にレコードになったドンガDonga作の《電話でPelo Telefone》が,最初にサンバと明示された曲だった。20~30年代には数多くのすぐれた作曲者,演奏者,歌手が出現し,毎年のカーニバルに新曲が披露されて流行した。第2次世界大戦後はジャズの影響で洗練されたモダンなサンバが作られ,そこから〈ボサノバ〉が生まれたが,他方,リオ周辺の黒人居住区では,伝統重視の姿勢を強く打ち出した泥臭いサンバも70年代に隆盛をみせた。
(2)アルゼンチンのサンバzamba 同国の民俗舞踊音楽で,ブラジルのサンバとは無関係である。18世紀ごろのペルーで生まれた舞踊音楽サマクエカzamacuecaが伝わって名称が変わったもので,6/8拍子のゆったりとしたリズムに乗った抒情的な歌が多く,アルゼンチンの現代民謡ではこの形を使って作られた曲がもっとも多い。踊りは男女2人が右手でスカーフを打ち振りながら踊る。
執筆者:中村 とうよう
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…これはニューヨーク,パリ,ロンドンに渡り,〈スクエア・ルンバ〉〈キューバン・ルンバ〉として踊られた。ブラジルの〈サンバ〉は1923,24年ころパリに紹介され,29年ころにはニューヨークでも踊り始められた。闘牛場での行進曲として名高い〈パソドブレ〉は,スペインをはじめ,ヨーロッパのラテン系諸国,中南米諸国で踊られ,第2次大戦後,イギリスでも踊られた。…
※「サンバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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