コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ドス・サントス ドス・サントス dos Santos, José

3件 の用語解説(ドス・サントスの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドス・サントス
ドス・サントス
dos Santos, José

[生]1942.8.28. ルアンダ
アンゴラの政治家。大統領(在位 1979~ )。フルネーム José Eduardo dos Santos。1961年にポルトガルからの独立を支持するアンゴラ解放人民運動 MPLAに加わる。組織の選抜によりモスクワへ留学して工学を学び,アンゴラ経済において重要な石油産業の問題を専攻。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉プラスの解説

ドス・サントス

体操、女子床競技の技。後ろ跳び1/2ひねり前方屈身2回宙返り。名称はブラジルの体操選手、ダイアネ・ドス・サントスから。

出典|小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドス・サントス
どすさんとす
Jos Eduardo Dos Santos
(1942― )

アンゴラの政治家。1961年アンゴラ解放人民運動(MPLA)に参加。同年2月のルアンダ蜂起(ほうき)後、ザイール(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサにA・ネトとともに逃れ、さらに対立する解放勢力アンゴラ国民解放戦線(FNLA)による弾圧で隣国コンゴ共和国のブラザビルに亡命。ネトと組織の立て直しを図る一方、当時のソ連に留学。1970~1973年にはカビンダ地区組織の充実を図り、1974年中央委員会委員に選出される。1975年アンゴラ独立後副首相。1978年計画相を経て、1979年大統領ネトの死後大統領に就任した。MPLA政権は独立後、マルクス・レーニン主義に基づく国家建設を推進したが、冷戦終結後の1994年、マルクス・レーニン主義を放棄し、複数政党制を導入、計画経済から自由経済に移行した。1991年のアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)との和平合意後、1992年に大統領選挙、国政選挙を実施し、大統領に再選され、MPLAが多数票を獲得した。これに不満を感じたUNITAは再度内戦に突入。国連が介入して、1994年再度和平合意が成立、1997年ドス・サントスを大統領とした国民統合政府が樹立された。しかし、和平合意は守られず、UNITAとの内戦は継続したが、2002年UNITA議長サビンビの死とともに停戦が成立した。[林 晃史]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ドス・サントスの関連キーワードアンダースタディルアンシャミドルアイアンR and Rケルアンサンパウロデルアンダロアンダブリルアン散乱サン・パウロ・デ・ルアンダルアンダ・ウルンジ

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ドス・サントスの関連情報