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ドス・サントス dos Santos, José

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドス・サントス
dos Santos, José

[生]1942.8.28. ルアンダ
アンゴラの政治家。大統領(在位 1979~ )。フルネーム José Eduardo dos Santos。1961年にポルトガルからの独立を支持するアンゴラ解放人民運動 MPLAに加わる。組織の選抜によりモスクワへ留学して工学を学び,アンゴラ経済において重要な石油産業の問題を専攻。1970年に帰国後,石油生産地域のカビンダで MPLA第二戦線の一員として武力闘争に参加した。MPLA代表として国際的な議論の場にたびたび立ち,政治局執行委員となった。1975年にアンゴラの独立が達成されると,ジョナス・サビンビ率いるアンゴラ全面独立民族同盟 UNITAなど,複数の組織による国の支配権争いを経て,MPLAが政権掌握を宣言し単独政党制を打ち立てた。しかし UNITAのゲリラ活動は続いた。1975年に初代首相に就任。3年後に首相職が廃止されると計画大臣に任命された。1979年にアゴスティーニョ・ネト大統領の死去をうけて後継に就任。実利主義的かつ柔軟な姿勢で,MPLA主導の政権を承認しないアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国との関係改善を模索した。1990年代初頭にはマルクス=レーニン主義を放棄し,1970年代後半から国内に駐留していたキューバ軍の撤退を命じた。UNITAはこの方針変更にも屈せず,攻撃姿勢を強めた。1991年にドス・サントスは UNITAとのアンゴラ包括和平協定に調印し,複数政党制選挙の導入に同意。1992年の大統領選挙でサビンビを破って当選するが,その後 UNITAは戦闘を再開し,サビンビが死去する 2002年まで続いた。(→アンゴラ内戦

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デジタル大辞泉プラスの解説

ドス・サントス

体操、女子床競技の技。後ろ跳び1/2ひねり前方屈身2回宙返り。名称はブラジルの体操選手、ダイアネ・ドス・サントスから。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドス・サントス
どすさんとす
Jos Eduardo Dos Santos
(1942― )

アンゴラの政治家。1961年アンゴラ解放人民運動(MPLA)に参加。同年2月のルアンダ蜂起(ほうき)後、ザイール(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサにA・ネトとともに逃れ、さらに対立する解放勢力アンゴラ国民解放戦線(FNLA)による弾圧で隣国コンゴ共和国のブラザビルに亡命。ネトと組織の立て直しを図る一方、当時のソ連に留学。1970~1973年にはカビンダ地区組織の充実を図り、1974年中央委員会委員に選出される。1975年アンゴラ独立後副首相。1978年計画相を経て、1979年大統領ネトの死後大統領に就任した。MPLA政権は独立後、マルクス・レーニン主義に基づく国家建設を推進したが、冷戦終結後の1994年、マルクス・レーニン主義を放棄し、複数政党制を導入、計画経済から自由経済に移行した。1991年のアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)との和平合意後、1992年に大統領選挙、国政選挙を実施し、大統領に再選され、MPLAが多数票を獲得した。これに不満を感じたUNITAは再度内戦に突入。国連が介入して、1994年再度和平合意が成立、1997年ドス・サントスを大統領とした国民統合政府が樹立された。しかし、和平合意は守られず、UNITAとの内戦は継続したが、2002年UNITA議長サビンビの死とともに停戦が成立した。[林 晃史]

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