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ドス・サントス ドス・サントスdos Santos, José

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドス・サントス
ドス・サントス
dos Santos, José

[生]1942.8.28. ルアンダ
アンゴラの政治家。大統領(在位 1979~ )。フルネーム José Eduardo dos Santos。1961年にポルトガルからの独立を支持するアンゴラ解放人民運動 MPLAに加わる。組織の選抜によりモスクワへ留学して工学を学び,アンゴラ経済において重要な石油産業の問題を専攻。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドス・サントス
どすさんとす
Jos Eduardo Dos Santos
(1942― )

アンゴラの政治家。1961年アンゴラ解放人民運動(MPLA)に参加。同年2月のルアンダ蜂起(ほうき)後、ザイール(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサにA・ネトとともに逃れ、さらに対立する解放勢力アンゴラ国民解放戦線(FNLA)による弾圧で隣国コンゴ共和国のブラザビルに亡命。ネトと組織の立て直しを図る一方、当時のソ連に留学。1970~1973年にはカビンダ地区組織の充実を図り、1974年中央委員会委員に選出される。1975年アンゴラ独立後副首相。1978年計画相を経て、1979年大統領ネトの死後大統領に就任した。MPLA政権は独立後、マルクス・レーニン主義に基づく国家建設を推進したが、冷戦終結後の1994年、マルクス・レーニン主義を放棄し、複数政党制を導入、計画経済から自由経済に移行した。1991年のアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)との和平合意後、1992年に大統領選挙、国政選挙を実施し、大統領に再選され、MPLAが多数票を獲得した。これに不満を感じたUNITAは再度内戦に突入。国連が介入して、1994年再度和平合意が成立、1997年ドス・サントスを大統領とした国民統合政府が樹立された。しかし、和平合意は守られず、UNITAとの内戦は継続したが、2002年UNITA議長サビンビの死とともに停戦が成立した。[林 晃史]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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