ムデーハル(英語表記)mudéjar

改訂新版 世界大百科事典 「ムデーハル」の意味・わかりやすい解説

ムデーハル
mudéjar

アラビア語のムダッジャンがスペイン語に転訛したもので,〈残留者〉すなわち,キリスト教徒に再征服された後のイベリア半島で,自分たちの信仰・法慣習を維持しながらその地に被支配者として残留を許可されたイスラム教徒をいう。1085年のトレド陥落以後のレコンキスタ(国土回復戦争)の進展で,ムデーハルの数はしだいに増加した。時とともに彼らはスペイン社会に同化してロマンス語を話すようになった。彼らがイスラムの優れた文化・学問・技術を,中世スペイン,ひいてはヨーロッパ諸国に伝達した役割は大きい。彼らの多くはコルドバセビリャ,トレド,バレンシアなどの大都市に居住し,建築業,革細工,金属細工,彫刻業,織物業,文筆業などに従事していた。彼らの活動によって,イスラム文化と中世スペイン・キリスト教文化との融合がなされた。この融合文化をムデーハル文化という。
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再征服後のスペインにおいて,キリスト教建築の中にイスラム芸術の伝統が存続するが,その理由は高度なイスラム文化への憧れ,ムデーハルの廉価な労働力,石材の乏しい地方ではイスラム風煉瓦構造が適当であったこと等々である。この,いわゆる〈ムデーハル様式〉建築の特徴は,菱形網目や多弁形アーチ状に煉瓦を積んだり,それとタイルを組み合わせた装飾的外壁,馬蹄形・多弁形アーチ,リブ付ボールトを用いた円蓋,タイルやスタッコによるアラベスク模様,彩色格子天井などに表れている。ムデーハル様式は12~13世紀にはロマネスク建築に取り入れられ(サアグンSahagúnのサン・ティルソ教会,トレドのサンティアゴ・デル・アラバル教会と旧シナゴーグ,サンタ・マリア・ラ・ブランカ),14世紀にはゴシック建築と結びつく(グアダルーペGuadalupeの修道院)。セビリャのアルカサルを経て,15世紀にはイスラム的要素を加えたスペイン独自のゴシック大聖堂様式が完成される。大聖堂はモスク跡地に建てられることもあり(トレド,セビリャ,サラゴサ),横幅が広く奥行きが短い。交差部にイスラム風採光塔が載り,その支柱はきわめて太い(ブルゴス)。16世紀,ルネサンス様式が入ってもムデーハル様式の要素は残り,構造の合理性よりも壁面装飾を好むイスラム的美の追求は装飾過剰なプラテレスコ様式となる。スペインでは歴史上,外来の様式はいずれもスペイン化されるが,その際根強い伝統となっているのがムデーハル的要素であり,19世紀末のガウディの建築にもムデーハル様式が反映している。
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世界大百科事典(旧版)内のムデーハルの言及

【アンダルス】より

…奴隷はサカーリバsaqāliba(スラブslavからなまったもの)といわれ,おもにヨーロッパ諸国(フランス,ドイツ,ロシア)から戦争捕虜として,また商品としてもたらされ,宮廷における家事奴隷として,また諸君主の親衛隊として活動した。なおレコンキスタの過程でキリスト教の支配を受けたムスリムをムデーハル,1492年以後の半島におけるムスリムをモリスコという。前者はキリスト教社会に融合し,経済・文化の発展に貢献した。…

【ゴシック美術】より

…これも儀礼中心より説教や講話が重要視される教会堂形式として,ハレンキルヘとともに中世後期の特色を発揮している。14~15世紀はイスラム美術の要素と融合した情熱的なムデーハル様式が成立し,スペイン的な色彩を付加し,またセビリャ大聖堂(1403‐1506)のようにモスクの形式にならって多廊多柱式を採用し,最大面積の大聖堂の一つを実現している。世俗建築としては,セゴビアのアルカーサル(14世紀),メディナ・デル・カンポの城(1440),トレド,バレンシアの城門や,トレドのアルカンタラ橋(1258)などが構造美を誇り,グアダラハラの宮殿(15世紀末)が豪華怪異なムデーハル様式の装飾を展開し,地中海沿岸地方には繁栄を物語る都市建築の伝えられるものが多い。…

【スペイン美術】より

…こうした外縁文化の特徴は,他文化圏と接している場合はいっそう増幅されるとともに,異種の文化原理と融合し,思わぬ成果を発揮する可能性もある。今日にいたるスペイン絵画の出発点となった中世のモサラベムデーハルの美術などその典型であろう。しかもスペインの場合,異なった文化原理は,ほとんどの場合に支配勢力の交代によってもたらされた。…

※「ムデーハル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」