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ブルゴス ブルゴスBurgos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルゴス
Burgos

スペイン北部,カスティリアレオン州北部,ブルゴス県の県都。アルランソン川を見おろす標高 861mの丘陵上に位置し,自然の要塞をなす。 884年アストゥリアス王国の東の前哨地点として建設され,ポルセロス伯領の,次いでカスティリア王国の首都となった。以後,王国の商業の中心地として栄えたが,1560年マドリードに首都が移ると町は衰退し,18世紀になって再び発展した。 1936~39年のスペイン内乱では,フランコ将軍の本拠地。農業のほか,毛織物革製品化学肥料,製紙などの工業が立地する。華麗なゴシック建築の一典型として知られる大聖堂 (1221着工,1567完成) のほか,聖ニコラス聖堂 (1505) ,聖エステバン聖堂 (1280~1350) など歴史的建築物が多い。人口 16万 381 (1991推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

ブルゴス(Burgos)

スペイン中北部の工業都市。中世の城跡や大聖堂などが残る。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルゴス【Burgos】

スペイン北部,カスティリャ・レオン地方の主都。人口15万2545(1981)。かつては旧カスティリャ地方の主都であった。アストゥリアス王国の国土回復戦争の前線基地として884年に創建され,11世紀にカスティリャ・レオン王国の首都になった。1494年にはすべてのカスティリャ王国海外貿易(とくに羊毛)および北部諸港の権利は,ブルゴスのギルド(コンスラード)の管轄下にはいり,のちのセビリャ通商院の手本となった。

ブルゴス【José A.Burgos】

1837‐72
フィリピンカトリック教会神父。ルソン島南イロコス州ビガンの生れ。スペイン軍人を父にもつ混血児。1859年にサント・トマス大学神学部を卒業。65年にマニラ大聖堂教区の司祭に任ぜられ,聖職者として輝かしい前途が期待された。フィリピンではスペイン体制初期の特殊事情から,修道士が教区司祭を務める変則的な教会制度が生まれた。これを正すために,18世紀後半から教区司祭の在俗神父化が進められたが,在俗神父はほとんど原住民だったので,原住民神父の勢力増大を恐れたスペイン当局は,1826年から再び元の変則的制度に戻す政策をとった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルゴス
ぶるごす
Burgos

スペイン北部、カスティーリャ・イ・レオン地方ブルゴス県の県都。人口16万6187(2001)。メセタの北東縁、ドゥエロ川上流の小支流アルランソン川に臨み、標高860メートルに位置する。20世紀に入り、フランコ政権下でスペイン工業発展計画の中心の一つとなり、木綿や化学繊維、電気、化学などの近代工業が立地した。北岸の旧市街北部には中世の城跡やサン・エステバンの城門(13世紀)が残る丘がある。大聖堂(13~15世紀)は壮大なゴシック建築で、英雄エル・シッドの墓があり、西正面の尖塔(せんとう)はケルン(ドイツ)出身の建築家ファン・デ・コロニアの手になる。ほかにサンタ・マリア門、市内から1キロメートル西にウェルガス修道院がある。[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

古代ローマの征服前からケルト系人が居住し、バスク地方とカスティーリャ中心部との間の経由地として知られていた。9世紀末、前世紀に侵入したイスラム教徒に対するアストゥリアス王国の前哨(ぜんしょう)地点として都市が形成され、伝説的英雄エル・シッドの生誕・活躍の地となり、11世紀にカスティーリャ王国の首都となった。16世紀のマドリード遷都で政治的意義は減じたが、その後も羊毛などの商業的中心地であった。19世紀初頭、フランスの侵入軍に占領され、スペイン内戦(1936~39)では反乱派の政権所在地であった。[深澤安博]

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