ブルゴス(その他表記)Burgos

デジタル大辞泉 「ブルゴス」の意味・読み・例文・類語

ブルゴス(Burgos)

スペイン中北部、カスティーリャ‐レオン州の都市。アルランソン川沿いに位置する。10世紀から15世紀にかけてカスティーリャレオン王国およびレオン王国の都が置かれ、毛織物業で発展。サンティアゴ‐デ‐コンポステラへの巡礼路が通り、世界遺産に登録されたブルゴス大聖堂がある。スペイン内戦時、フランコ軍の拠点となり、のちに工業化が進められた。中世の伝説的英雄シッドの生地。

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精選版 日本国語大辞典 「ブルゴス」の意味・読み・例文・類語

ブルゴス

  1. ( Burgos ) スペイン北部、マドリードの北方にある工業都市。一五六〇年までレオン‐カスティーリャ王国の首都。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルゴス」の意味・わかりやすい解説

ブルゴス
Burgos

スペイン北部,カスティリャ・レオン地方の主都。人口17万2421(2005)。かつては旧カスティリャ地方の主都であった。アストゥリアス王国国土回復戦争の前線基地として884年に創建され,11世紀にカスティリャ・レオン王国の首都になった。1494年にはすべてのカスティリャ王国の海外貿易(とくに羊毛)および北部諸港の権利は,ブルゴスのギルドコンスラード)の管轄下にはいり,のちのセビリャ通商院の手本となった。ブルゴスの重要性は,カスティリャの海外貿易の衰退とともに失われた。スペイン独立戦争中の1808-13年,フランス軍に占領され,長い包囲戦ののちスペイン・イギリス軍によって解放された。スペイン内乱(1936-39)中は,ブルゴスに国民戦線の国家防衛評議会が設立され,フランコの政府が置かれた。フランコ政権下でブルゴスは,スペイン工業発展計画の中心の一つとなった。
執筆者:

大聖堂(正称サンタ・マリアSanta María)は,フランスのランスから来たエンリケEnriqueらにより1221年に着工され,ゴシックの様式的統一は13世紀スペインでは比類がない。南北翼廊(トランセプト)玄関口の彫刻は北フランスの影響が強いが,のちにプラテレスコ様式の祭室,イスラム風透し彫パネルをはめたボールトからなる交差部採光塔(16世紀)など,スペイン的な色彩が加わる。西正面の双塔上の尖塔(1442)は,ケルン出身のフアンJuan de Coloniaの手になる。かつてサンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼を収容した施療院(オスピタル)や教会堂修道院が市の内外に残る。16世紀建造の〈ミランダの館〉は,現在考古学博物館となっている。
執筆者:


ブルゴス
José A.Burgos
生没年:1837-72

フィリピンのカトリック教会神父。ルソン島南イロコス州ビガンの生れ。スペイン軍人を父にもつ混血児。1859年にサント・トマス大学神学部を卒業。65年にマニラ大聖堂教区の司祭に任ぜられ,聖職者として輝かしい前途が期待された。フィリピンではスペイン体制初期の特殊事情から,修道士教区司祭を務める変則的な教会制度が生まれた。これを正すために,18世紀後半から教区司祭の在俗神父化が進められたが,在俗神父はほとんど原住民だったので,原住民神父の勢力増大を恐れたスペイン当局は,1826年から再び元の変則的制度に戻す政策をとった。このためフィリピン人在俗神父は,49年頃から,彼らの司祭職叙任の権利を守る運動を開始し,ブルゴスもこの運動に献身した。運動が反植民地闘争に発展することを恐れた当局は,72年にカビテ暴動を口実に,ブルゴスら指導者を処刑あるいは流刑して大弾圧を行った。
ゴンブルサ事件
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルゴス」の意味・わかりやすい解説

ブルゴス
ぶるごす
Burgos

スペイン北部、カスティーリャ・イ・レオン地方ブルゴス県の県都。人口16万6187(2001)。メセタの北東縁、ドゥエロ川上流の小支流アルランソン川に臨み、標高860メートルに位置する。20世紀に入り、フランコ政権下でスペイン工業発展計画の中心の一つとなり、木綿や化学繊維、電気、化学などの近代工業が立地した。北岸の旧市街北部には中世の城跡やサン・エステバンの城門(13世紀)が残る丘がある。大聖堂(13~15世紀)は壮大なゴシック建築で、英雄エル・シッドの墓があり、西正面の尖塔(せんとう)はケルン(ドイツ)出身の建築家ファン・デ・コロニアの手になる。ほかにサンタ・マリア門、市内から1キロメートル西にウェルガス修道院がある。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

古代ローマの征服前からケルト系人が居住し、バスク地方とカスティーリャ中心部との間の経由地として知られていた。9世紀末、前世紀に侵入したイスラム教徒に対するアストゥリアス王国の前哨(ぜんしょう)地点として都市が形成され、伝説的英雄エル・シッドの生誕・活躍の地となり、11世紀にカスティーリャ王国の首都となった。16世紀のマドリード遷都で政治的意義は減じたが、その後も羊毛などの商業的中心地であった。19世紀初頭、フランスの侵入軍に占領され、スペイン内戦(1936~39)では反乱派の政権所在地であった。

[深澤安博]

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百科事典マイペディア 「ブルゴス」の意味・わかりやすい解説

ブルゴス

スペイン北部,マドリードの北約200kmの高原上にあるブルゴス県の県都。農産物の取引が盛んで,製紙・皮革・毛織物工業が行われる。国土回復戦争の前線基地。ブルゴス大聖堂が有名。伝説的英雄エル・シッドの故郷である。11世紀レオン・カスティリャ王国の首都で,スペイン内乱時にもフランコ派の臨時首都であった。17万8864人(2011)。
→関連項目サンチアゴ・デ・コンポステラの巡礼路

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルゴス」の意味・わかりやすい解説

ブルゴス
Burgos

スペイン北部,カスティリア・レオン州北部,ブルゴス県の県都。アルランソン川を見おろす標高 861mの丘陵上に位置し,自然の要塞をなす。 884年アストゥリアス王国の東の前哨地点として建設され,ポルセロス伯領の,次いでカスティリア王国の首都となった。以後,王国の商業の中心地として栄えたが,1560年マドリードに首都が移ると町は衰退し,18世紀になって再び発展した。 1936~39年のスペイン内乱では,フランコ将軍の本拠地。農業のほか,毛織物,革製品,化学肥料,製紙などの工業が立地する。華麗なゴシック建築の一典型として知られる大聖堂 (1221着工,1567完成) のほか,聖ニコラス聖堂 (1505) ,聖エステバン聖堂 (1280~1350) など歴史的建築物が多い。人口 16万 381 (1991推計) 。

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