吉見円忠(読み)よしみ・えんちゅう

朝日日本歴史人物事典 「吉見円忠」の解説

吉見円忠

生年生没年不詳
鎌倉末・南北朝初めの武士系図によると,源範頼の曾孫二位律師頼源の子。円忠も二位律師を称す。同族の頼隆,頼顕らは南北朝時代能登国守護となるが,円忠も同国に所領を有しており,元徳1(1329)年には志々見保内1町5段の田畠を妻に譲渡している。足利尊氏鎌倉幕府に離反した元弘3(1333)年5月には,円忠は尊氏の命を受け,伊勢国三重郡で地頭御家人を統率している。円忠の子の範景ものちに伊勢国で軍事活動を行っているので,円忠の本拠は同国にあったのかもしれない。また円忠の近親者には武蔵国慈光寺別当を務めている者が多いが,吉見氏と慈光寺の具体的な関係はよくわかっていない。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉見円忠」の解説

吉見円忠 よしみ-えんちゅう

?-? 鎌倉-南北朝時代の武士。
系図によると,能登(のと)(石川県)吉見の祖とされる吉見頼宗の弟頼源の子。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年(1333)足利尊氏(たかうじ)の命で伊勢(いせ)(三重県)の地頭,御家人に挙兵をうながした。通称は二位律師。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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