増田宗太郎(読み)ますだ・そうたろう

朝日日本歴史人物事典 「増田宗太郎」の解説

増田宗太郎

没年:明治10.9.3(1877)
生年:嘉永2.3.23(1849.4.15)
幕末の豊前中津藩(大分県)藩士,西南戦争・西郷軍呼応者。福沢諭吉の再従弟。水戸学,国学を学び頭角を現し,明治3(1870)年,藩命で京都の皇漢所に学び,次いで東京の慶応義塾に入塾したが,まもなく帰郷。4年,鹿児島を訪ね,7年佐賀の乱に呼応すべく同志と図ったが時期を失した。再び鹿児島を訪ね桐野利秋らと時事を談じた。台湾出兵に当たり,同志と共憂社を結成して不平士族決起に備えた。9年,再度上京,慶応義塾に籍を置いたが,同年またもや帰郷,中津に『田舎新聞』を発刊,社長兼編集長となった。明治政府が国権確立に無力なことを常に慨嘆していた。10年,西郷隆盛が鹿児島に蜂起するや中津の同志を糾合して薩摩軍に合流,転戦奮闘したが,鹿児島の城山で戦死した。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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