百科事典マイペディア「チャイコフスキー」の解説
チャイコフスキー
→関連項目イッポリトフ・イワーノフ|イワーノフ|グリンカ|四季(音楽)|1812年序曲|チューブ・ベル|バランチン|悲愴交響曲|拍子|変奏曲|マリインスキー劇場|無言歌
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…チャイコフスキーの音楽による2幕のバレエ。原作はE.T.A.ホフマンの《くるみ割り人形とネズミの王》だが,ペチパがバレエ台本にし,ペチパの弟子イワノーフ振付で1892年12月ペテルブルグのマリインスキー劇場で初演された。…
…その流れを汲んで,チェコではヤナーチェク,スーク,ノバークVitězslav Novák(1870‐1949)らもこの曲名を用いている。ロシアでは,チャイコフスキーのピアノ曲《ドゥムカ(ロシアの農村風景)》作品59(1886)やバラーキレフのピアノ曲《ドゥムカ変ホ調》(1900)に例が見られる。【森田 稔】。…
…チャイコフスキー作曲の4幕のバレエ。作品20。…
…しかし,70年代に入ると,リムスキー・コルサコフはアカデミズムの牙城であるペテルブルグ音楽院の教授に迎えられたし,バラーキレフ自身は一時音楽界から引退したりして,グループとしては存在しなくなった(ロシア国民楽派)。
[チャイコフスキーとストラビンスキー]
同じ1860年代に育ったチャイコフスキーは,ペテルブルグ音楽院の第1回卒業生で,卒業後すぐにモスクワ音楽院の教授に迎えられた。彼はアカデミックな訓練を受けた最初のロシア人作曲家であったが,とくに初期においてはバラーキレフなどとも親しくした時期があって,民族主義的な傾向を強くもっていた。…
…しかし19世紀後半から20世紀初めにかけての音楽が示す多様な相は,もはやロマン主義の一元で処理することはできない。古典主義的な構築性と秩序の復権(ブラームス,ブルックナー),民族主義との交融(東欧のスメタナとドボルジャーク,ロシア国民楽派とチャイコフスキー,グリーグとシベリウスをはじめとする北欧諸国の作曲家たち),そしてロマン主義とリアリズムの個性的な交錯(マーラー)などを,その主要なスペクトルとして挙げよう。なお,同時代に活躍しながら非ロマン派的存在としてはベルディ,ビゼー,ムソルグスキー,ベリーニ,ドニゼッティらが挙げられる。…
※「チャイコフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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