大磯(町)(読み)おおいそ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大磯(町)」の意味・わかりやすい解説

大磯(町)
おおいそ

神奈川県中南部、中郡(なかぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)国府(こくふ)町と合併。JR東海道本線、国道1号、西湘(せいしょう)バイパス、国道134号、小田原厚木(あつぎ)道路(国道271号)が通じる。相模(さがみ)湾に臨み、大磯丘陵南部の海岸段丘上に発達、海岸は「こゆるぎの磯」とよばれる景勝地。気候は温暖で、湘南でも休養地として最適。古代、中世からの宿駅の地で、近世には東海道の宿場と湊(みなと)を兼ね、人馬の往来物資集散地として栄えた。1885年日本最初とされる海水浴場が開かれてから京浜の別荘地となり、現在は住宅都市。西部の国府地区には、平安中期に相模国第三次の国府(淘綾の国府(ゆるぎのこくふ))が置かれ、現在毎年5月5日、神揃(かみそろい)山、六所(ろくしょ)神社、大矢場(おおやば)(馬場公園)(ともに六所神社の境内)へ相模国の一~五宮を招いて国府祭(こうのまち)が行われる。県指定の無形民俗文化財。大磯市街地西辺の鴫立沢(しぎたつさわ)のほとりの鴫立庵は、西行(さいぎょう)を記念したもので、東海道筋きっての歌塾として知られ、いまも歌道研修場となっている。海岸の大磯ロングビーチは近代的レクリエーション施設。その東側に県立大磯城山公園があり、園内には郷土資料館が設置されている。また、大磯駅近くには島崎藤村(とうそん)の墓もある。

 市内には民俗芸能も多く、左義長(さぎちょう)(国指定の重要無形民俗文化財)、船祭(高来(こうらい)神社)、西小磯の歩射(ぶしゃ)(白岩神社)、祇園(ぎおん)祭のバカ踊(祭りばやし)などが有名。東端の高麗山(こまやま)は山容が美しくて、古くから東海道旅行者の詩文の題、画材などにされ、海岸の平塚市の唐ケ原(とうがはら)につづく一帯は古代に朝鮮半島からきた渡来人の上陸地で、ここから関東各地へ分散した所とされる。面積17.18平方キロメートル(境界一部未定)、人口3万1634(2020)。

[浅香幸雄]

『『大磯町文化史』(1956・大磯町)』『池田彦三郎著『大磯歴史物語』(1981・グロリヤ出版)』『『大磯町史』全11巻(1996~ ・大磯町)』


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