太田朝敷(読み)おおたちょうふ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「太田朝敷」の意味・わかりやすい解説

太田朝敷
おおたちょうふ
(1865―1938)

近代沖縄の代表的な新聞人。首里(しゅり)の士族の家に生まれた。1881年(明治14)県費留学生として学習院、東京高等師範学校に学び、帰郷後、沖縄最初の新聞『琉球(りゅうきゅう)新報』の創刊(1893)に加わり、やがてその主筆となった。守旧派による権益回復の運動である公同会(こうどうかい)運動にも参画し、また、県会議員、首里市長を歴任するなど政治分野での活動にも注目すべきものがあった。思想的には保守主義者で、日本社会のなかで大きく立ち後れている沖縄を早急にレベルアップして、本土との一体化を実現すべきだと主張、「くしゃみ仕方まで日本式にすべし」という有名な発言を残している。回想録『沖縄県政五十年』(1932)は沖縄近代政治史の重要な資料である。

[高良倉吉]

『太田朝敷著『沖縄県政五十年』(1932・国民教育社/再版・1957・おきなわ社)』『琉球新報社監修、比屋根照夫・伊佐眞一編『太田朝敷選集』全3冊(1993~96・第一書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田朝敷」の解説

太田朝敷 おおた-ちょうふ

1865-1938 明治-昭和時代前期の新聞経営者,政治家
尚泰王18年4月8日生まれ。慶応義塾にまなぶ。明治26年沖縄最初の新聞「琉球新報」の創刊にくわわり,大正2年主筆。昭和5年社長。県会議員,首里市長をつとめ,また沖縄県海外協会副会長として移民事業を推しすすめた。昭和13年11月25日死去。74歳。著作に「沖縄県政五十年」。

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