広橋仲光(読み)ひろはし・なかみつ

朝日日本歴史人物事典 「広橋仲光」の解説

広橋仲光

没年:応永13.2.12(1406.3.2)
生年康永1/興国3(1342)
室町前期の公卿。法名曇寂。父は権大納言兼綱。延文3/正平13(1358)年元服,その2年後蔵人,貞治2/正平18年右少弁,3年後左少弁に任ぜられ,応安7/文中3(1374)年には1年間で権右中弁,左中弁と昇進し,位も従四位下,同上,正四位下と3階級上がった。永和2/天授2(1376)年蔵人頭となり,後円融天皇側近の筆頭となった。翌年正四位上に叙せられ,その次の年参議,従三位となり公卿に列し,同年中に権中納言に昇った。永徳1/弘和1(1381)年に正三位,従二位と位があがり,大宰権帥も兼ねた。嘉慶2/元中5(1388)年権大納言に昇進したが,応永2(1395)年辞任,翌年10月20日従一位に叙せられて翌日一切の官位を辞して,出家した。この時代は南北朝が合体し,かつ足利義満の権力拡大のときだったので苦労も多く,早くに辞職したのもそのへんに理由がある。

(飯倉晴武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広橋仲光」の解説

広橋仲光 ひろはし-なかみつ

1342-1406 南北朝-室町時代の公卿(くぎょう)。
康永元=興国3年生まれ。広橋兼綱(かねつな)の子。永和4=天授4年参議。のち権(ごんの)大納言,従一位。足利義満(よしみつ)政権下で南都伝奏(てんそう)をつとめた。応永13年2月12日死去。65歳。勘解由小路(かでのこうじ)と号した。日記に「仲光卿記」。

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