新納時升(読み)にいろ・ときます

朝日日本歴史人物事典 「新納時升」の解説

新納時升

没年:慶応1.1.22(1865.2.17)
生年:安永7.12(1778)
江戸中・後期薩摩(鹿児島)藩士通称は次郎九郎,弥太右衛門,矢田右衛門,号は伯剛,如泉,空翠,乾々道人。新納時意の子として鹿児島城下に生まれる。享和3(1803)年に蔵方目付となり,文化5(1808)年には江戸詰めとなり,在江戸中に尾張藩儒者冢田大峯に学んだ。そののち糾問掛,大島代官などを経て文政2(1819)年には大坂詰めとなって藩債500万両の整理に当たったが,調所広郷の旧債切り捨て案に反対して禁固された。のち復職したが同10年に改革案を島津重豪に直訴しようとして失職嘉永2(1849)年のお由羅騒動にも連座して徳之島に流された。安政1(1854)年に赦免されたのち,同3年から藩校造士館助教として子弟の教育に励んだ。<参考文献>山田準編『新納時升翁と勉強説及党弊論』

(笠谷和比古)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新納時升」の解説

新納時升 にいろ-ときます

1779*-1865 江戸時代後期の武士
安永7年12月生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。文政2年大坂詰めとなり藩財政の再建にあたる。10年藩政改革を藩主に直訴しようとして解職される。嘉永(かえい)3年お由羅(ゆら)騒動に連座して徳之島に流罪。赦免後,藩校造士館助教などをつとめた。元治(げんじ)2年1月22日死去。88歳。字(あざな)は伯剛。通称は弥太右衛門。号は如泉など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android