フォーレ

デジタル大辞泉 「フォーレ」の意味・読み・例文・類語

フォーレ(Gabriel-Urbain Fauré)

[1845~1924]フランスの作曲家。歌曲室内楽曲ピアノ曲などを多く作曲。「レクイエム」など。

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精選版 日本国語大辞典 「フォーレ」の意味・読み・例文・類語

フォーレ

  1. ( Gabriel Fauré ガブリエル━ ) フランスの作曲家。サン=サーンスにピアノや作曲を学び、多くのピアノ曲、歌曲、劇場音楽などを作曲した。近代フランス音楽を代表する一人。パリ音楽院教授として多くの後進を育成した。代表作「レクイエム」。(一八四五‐一九二四

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百科事典マイペディア 「フォーレ」の意味・わかりやすい解説

フォーレ

フランスの作曲家,教育者。幼いころから音楽に親しみ,1854年−1865年パリの〈古典と宗教の音楽学校〉で学ぶ。同校ではグレゴリオ聖歌やルネサンス期の合唱音楽についての素養を深め,教師として着任したサン・サーンスと知り合う。1866年から教会のオルガン奏者や楽長を務め,1896年−1905年パリのマドレーヌ聖堂首席オルガン奏者。また1896年パリ音楽院(コンセルバトアール)の作曲と対位法教授となり,M.ラベル,フローラン・シュミット,N.ブーランジェハスキルらを教えた。1905年−1920年,同院院長。1903年に聴覚の異常に襲われて以来,聴力は徐々に失われた。作品は繊細で清澄な感覚に富み,《レクイエム》(1887年−1888年),《バイオリンソナタ第1番》(1876年),ベルレーヌの詩による歌曲集《優しい歌》(1894年),4手のためのピアノ曲《ドリー》(1893年−1896年),管弦楽曲《ペレアスとメリザンド》(1898年)など壮年期までの作品が日本では広く親しまれている。晩年の《ピアノ五重奏曲第2番》(1921年),《弦楽四重奏曲》(1924年)などの室内楽曲では,ベートーベン後期の弦楽四重奏曲にしばしばたとえられる内省的な深みに到達した。また,生涯にわたり書き継がれた歌曲はドビュッシーの作品とともに,フランス近代歌曲(メロディリート参照)をドイツ歌曲(リート)に比肩する位置に押し上げたものとして評価が高い。ほかに,各13曲のピアノ曲《夜想曲》と《舟歌》,オペラペネロープ》(1907年−1913年)など。→シャブリエデュパルク
→関連項目アルベニスイザイエカセラキリスト教音楽ナットバラードペレアスとメリザンド無言歌レクイエムロン

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改訂新版 世界大百科事典 「フォーレ」の意味・わかりやすい解説

フォーレ
Gabriel Fauré
生没年:1845-1924

フランスの作曲家,教育者。1854-65年,パリのL.ニデルメイエールの〈古典と宗教の音楽学校〉で音楽教育を受け,61年以後同校の教師となったサン・サーンスにも師事した。卒業後,初め教会オルガン奏者を職として,96年にはパリのマドレーヌ教会首席奏者(-1905)となるが,同じ年パリ国立高等音楽院作曲教授に任命され,M.ラベル,F.シュミットらを育てた。1905年院長,20年難聴と健康上の理由により退職。死に際しては国葬が行われた。

 フォーレの絶筆である《弦楽四重奏曲ホ短調》(1924)は,121番という作品番号をもつ。しかし作品番号が与えられなかったものもあり,同一の番号で何曲かを含むものもあるから,彼は決して寡作ではなかった。ピアノ独奏曲は《主題と変奏》,各13曲のショパン風の曲名をもつ《夜想曲》《舟歌》など計約60,歌曲は歌曲集中の小曲も個々に数えて約100,室内楽曲10,器楽小曲12,オペラ2,管弦楽曲および管弦楽組曲8(未刊も含む),レクイエム大小2曲,その他である。このうち1860年代に書き始めて一生書きついだのが,歌曲とピアノ曲である。弦楽器群あるいは弦とピアノのための室内楽曲も,初期の《バイオリン・ソナタ第1番イ長調》(1876)から絶筆まで,各時期にわたっているが,ここでは《バイオリン・ソナタ第2番ホ短調》(1916)以後合わせて6曲を,晩年にかためて書いているのが注目される。この二つのバイオリン・ソナタを比べれば,《イ長調ソナタ》は甘美ですらある若々しくのびやかな抒情の魅惑,古典派ソナタにのっとった明快なかたちをもち,一方,《ホ短調ソナタ》は,ときに厳しい力をみなぎらせこそすれ,ほとんど感覚への愛撫を拒むかのような姿勢,大胆な半音階的和声,書式の錯綜した対位法,再現部にまで展開が執拗に繰り延ばされる形態とを特徴とする。その差異が二つのソナタの間に流れたフォーレの40年余をもののみごとに反映していると言えるだろう。こうした差異は歌曲,ピアノ曲にも認められる。ただしこれらでは,形態の複雑化でなしに,むしろ簡素・凝縮に向かい抑制のきいた筆触によりながら,しかも感動を赤裸々に示す傾向が,際だつ。しかもどのジャンルにも共通するのは,つねに内省的な抒情家であるフォーレが,年齢を加えるにしたがって,ときにおそれすら感じさせるほど,その内省を深めていったことであろう。

 歌曲について特に付け加えれば,《漁師の歌》(詩T. ゴーティエ),《夢のあとに》(R. ビュシーヌ),《イスファハーンばら》(C.M. ルコント・ド・リール)など初期の作品には,ロマン派,高踏派の詩によったものが多いが,やがて《月の光》(1887)でのベルレーヌとの出会いが転機をよび,抒情の相を一新させて,ベルレーヌによる歌曲集《五つの歌曲》(1891),とりわけ《優しい歌》(1894)で円熟の頂点に達する。そして象徴詩を手がけ,さらには若い詩人の詩にも作曲することになる(たとえばJ.deラ・ビル・ド・ミルモンによる歌曲集《幻の水平線》1921)。この間に彼の歌曲(メロディ)はドイツ歌曲(リート)の影響を大きく抜け出て,ドビュッシーの歌曲ともども,フランス歌曲をリートに勝るとも劣らぬものとしたのであった。
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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「フォーレ」の解説

フォーレ

フランス南西部のパミエで、教育家の父親の元に生まれた。幼少時オルガンや宗教音楽に触れるうちに音楽の才能を見出され、1854年からパリの古典宗教音楽学校でニデルメイエールに学んだ。
1861年からは ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル大辞泉プラス 「フォーレ」の解説

フォーレ

カネヨ石鹸が製造・販売する台所用洗剤のブランド名。商品には除菌タイプと、オレンジオイル配合の「フォーレオレンジ」がある。

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世界大百科事典(旧版)内のフォーレの言及

【フランス音楽】より

…第3は,1660年より1760年に至るベルサイユ楽派の時代。そして第4は,フォーレ,ドビュッシー,ラベルを頂点にいただく1860年以後の1世紀である。これは一つの見方にすぎぬかもしれないが,フランス音楽がヨーロッパにあって最も古く輝かしい歴史を誇る音楽の一つであることは,語ってくれるだろう。…

※「フォーレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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