日光山(読み)ニッコウサン

デジタル大辞泉 「日光山」の意味・読み・例文・類語

にっこう‐さん〔ニツクワウ‐〕【日光山】

栃木県日光市にある輪王寺りんのうじ山号
日光市にある火山群最高峰男体山なんたいさんの標高2486メートル。

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精選版 日本国語大辞典 「日光山」の意味・読み・例文・類語

にっこう‐さん ニックヮウ‥【日光山】

[一] 栃木県日光市山内にある天台宗の寺、輪王寺の山号。
[二] 栃木県日光市にある男体山(なんたいさん)のこと。

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日本歴史地名大系 「日光山」の解説

日光山
につこうさん

日光市の大部分を占める古代から山岳信仰霊場として開かれた地域および宗教施設の総称狭義には二社一寺の境内地である現在の山内さんないをいうが、一般には日光山内を中心に、中宮祠ちゆうぐうし湯元ゆもとや日光連山、中禅寺ちゆうぜんじ湖畔を含む広大な地域をさす。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日光山」の意味・わかりやすい解説

日光山
にっこうさん

輪王寺」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の日光山の言及

【東国】より

…しかし54年(享徳3)の関東の動乱後,東国は全体として室町幕府の支配から離れた独自な歩みを進め,成氏も京都の改元を用いず,享徳の元号を使用しつづけるなど,これ以後,異年号はしきりに関東に出現する。
[日光山]
 日光山は東国の聖地として,古くから東国の政治勢力と密接な関係を保ち,鎌倉公方と深いつながりをもっていたが,成氏の用いた延徳,福徳などの異年号も,日光と関連があるとする説も提起されている。戦国の動乱の中で関東南部の支配者になった後北条氏も,東国国家の伝統をうけつぐ意識をもち,〈関八州国家〉を目ざしたといわれており,日光も最後までこれに荷担しつづけた。…

【東照宮】より

…徳川家康をまつる神社。1616年(元和2)家康が駿府で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年下野日光山に遷葬,朝廷から東照大権現の神号が授けられた(日光東照宮)。久能山東照社は17年12月社殿を造替,幕府は神領3000石を寄進した。…

【男体山】より

…標高2484m。二荒(ふたら)山,日光山,黒髪山ともいう。北東には大真名子(おおまなご)山(2375m),小真名子山(2323m),女峰(によほう)山(2464m),赤薙(あかなぎ)山(2010m),北西には太郎山(2368m),山王帽子(さんのうぼうし)山(2085m)が連なり,戦場ヶ原,湯ノ湖を隔てた白根山(日光白根)などとともに日光火山群を形成する。…

【日光】より

…このため〈日光を見ずして結構というなかれ〉とまでいわれ,日本を代表する観光地の一つとして国際的にも知られている。 表日光は日光市街地を中心にした大谷川沿いの地域で,かつては神仏習合の〈日光山〉と総称された二荒山(ふたらさん)神社,東照宮,輪王(りんのう)寺の2社1寺とその門前町を含み,華美な彫刻のほどこされた東照宮陽明門をはじめ人工美にあふれ,かつては〈日光詣〉でにぎわい,今も日光観光の中心地にあたる。また市街の北,赤薙(あかなぎ)山南麓の霧降(きりふり)高原はニッコウキスゲの群落や紅葉で知られ,板穴川にかかる霧降滝(落差75m)は,華厳滝,裏見滝とともに日光三名瀑に数えられる。…

【日光東照宮】より

…1616年(元和2)4月17日家康が駿府城で没すると,遺言に基づき,幕府はその夜神式をもって駿河久能山に葬り,墓前に社殿を建てた。遺命により天海の主導で,一周忌を期し下野国都賀郡日光山に改葬することとなり,翌17年仏岩山南に本社,拝殿,本地堂以下が完成,神霊をうつして4月正遷宮の祭礼が行われ,朝廷から東照大権現の神号の宣命と正一位の神階を受けた。なお廟所奥院の木造宝塔は22年竣工した。…

【日光奉行】より

…幕府は1648年(慶安1)ごろより目付を1人在勤させ,日光東照宮の警備と山中の監察に当てた。3代将軍徳川家光の没後,その遺臣梶定良が大猷院(家光)廟定番(じようばん)となり,ともに日光山を管轄したが,のち目付在勤制を廃し,日光奉行を創設した。老中支配,定員2名,役高2000石,役料500俵。…

【壬生氏】より

…15~16世紀に胤業,綱重,綱房,綱雄,義雄の5代にわたり繁栄。胤業が壬生城を築城,綱重は鹿沼まで進出,やがて鹿沼城を築いてここに移り日光山への進出を図った。綱房は日光山神領惣政所職ともなっている。…

【輪王寺宮門跡】より

…日光山を総括,東叡山寛永寺を管領,比叡山の天台座主を歴任し,比叡山諸門跡の首班に列した法親王。1613年(慶長18)天海が日光山貫主に補せられ,17年(元和3)徳川家康の遺骸を日光山に改葬した。…

※「日光山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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