滝善三郎(読み)たき・ぜんざぶろう

朝日日本歴史人物事典 「滝善三郎」の解説

滝善三郎

没年:慶応4.2.9(1868.3.2)
生年天保8(1837)
神戸事件の犠牲者。岡山藩士滝助六郎の次男。慶応2(1866)年馬廻役。慶応4年1月11日(1868.2.4),滝の属する岡山藩の部隊約400名が,西宮警備の任につくため移動行進中,神戸三宮で外国人が部隊を横断したことから,これを非礼としとがめる部隊と外国人方との間に発砲し合う事件が起こった。外国公使団の抗議を受けた外国事務総督伊達宗城はかれらの要求をいれ,家老日置帯刀に謹慎,第3砲隊長であった滝に自刃の命を下した。滝は2月9日神戸永福寺において外国公使団立ち会いのもとで切腹した。<参考文献>内山正熊『神戸事件』

(酒田正敏)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滝善三郎」の意味・わかりやすい解説

滝善三郎
たきぜんざぶろう

[生]天保8(1837).備前
[没]慶応4(1868).2.9. 兵庫
江戸時代後期の備前藩馬廻り藩士。本名正信。慶応4 (1868) 年1月 11日神戸居留地付近で岡山藩兵と外国兵とが起した発砲事件,いわゆる神戸事件の発砲責任者として明治新政府の処罰を受け,兵庫永福寺で切腹。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滝善三郎」の解説

滝善三郎 たき-ぜんざぶろう

1837-1868 幕末武士
天保(てんぽう)8年生まれ。備前岡山藩士。慶応4年第三砲隊長として西宮警備のため行軍中,神戸でイギリス人,フランス人と衝突し傷をおわせる(神戸事件)。外交上の危機におちいることをおそれた新政府の命により,同年2月9日切腹。32歳。名は正信。

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