花柳徳兵衛(読み)はなやぎとくべえ

改訂新版 世界大百科事典 「花柳徳兵衛」の意味・わかりやすい解説

花柳徳兵衛 (はなやぎとくべえ)
生没年:1908-68(明治41-昭和43)

舞踊家本名寺崎孝太郎。高崎市生れ。花柳徳之輔に師事し,1928年花柳徳兵衛の名を許される。創作活動を重ね,日本舞踊における群舞を開拓した。第2次世界大戦後の作品に《慟哭(どうこく)》《土に生きる》《野の火》《田の神の暦》《壇の浦》などの秀作がある。また《民俗舞踊集》の作品もある。62年東京都武蔵野市に〈徳兵衛日本舞踊学校〉を開設して校長就任戦前戦後を通じてアジア諸国を歴訪親善文化交流に貢献した。なお,1957年カイロにおけるアジア・アフリカ作家会議の日本代表でもあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「花柳徳兵衛」の意味・わかりやすい解説

花柳徳兵衛
はなやぎとくべえ
(1908―1968)

日本舞踊家。本名寺崎孝太郎。群馬県高崎市に生まれる。花柳徳之輔(とくのすけ)に師事し、1928年(昭和3)花柳徳兵衛の名を許される。創作舞踊に実力を発揮し、舞踊団を結成して日本舞踊における群舞を開拓、民俗舞踊を基盤とした創作作品にも特色を示した。62年(昭和37)には東京都武蔵野(むさしの)市に「徳兵衛日本舞踊学校」を開設、舞踊家を育成した。戦前・戦後を通じアジアの国々を歴訪し、日中親善をはじめ、文化交流に貢献した。代表作に『慟哭(どうこく)』『土に生きる』『野の火』『田の神の暦』など。

如月青子

『花柳順著『徳妻之記』(1962・蒼芸社)』『花柳徳兵衛著『日本舞踊を始める人のために』(1963・池田書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花柳徳兵衛」の解説

花柳徳兵衛 はなやぎ-とくべえ

1908-1968 昭和時代の日本舞踊家。
明治41年1月16日生まれ。花柳徳之輔に師事。創作舞踊に活躍し,舞踊団を組織して群舞を成功させる。昭和37年徳兵衛日本舞踊学校を創立。アジア諸国を歴訪し文化交流につくした。代表作に「慟哭(どうこく)」「土に生きる」など。昭和43年5月24日死去。60歳。群馬県出身。本名は寺崎孝太郎。

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