朝日日本歴史人物事典 「関三十郎(2代)」の解説
関三十郎(2代)
生年:天明6(1786)
江戸後期の歌舞伎役者。俳名歌山。屋号播磨屋,尾張屋。初代の実子とも養子ともいう。2代目嵐吉三郎の門下で,嵐宗太郎の名で大坂の子供芝居に出勤。享和1(1801)年に3代目中村歌右衛門の門に入り,中村歌助と改名した。その後初代関三十郎の養子となって2代目を襲名,文化4(1807)年京都北側の大芝居へ初めて出勤。同5年以降三都を行き来したが,天保中ごろから病気がちで,同10年2月中村座の舞台が最後となった。小柄ながら姿がよく,地芸,所作にすぐれ,和実を得意とした。堅い芸風で贔屓も多く「名人関三」と称された。
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報