関三十郎(2代)(読み)せき・さんじゅうろう

朝日日本歴史人物事典 「関三十郎(2代)」の解説

関三十郎(2代)

没年天保10.9.28(1839.11.3)
生年天明6(1786)
江戸後期の歌舞伎役者俳名歌山。屋号播磨屋,尾張屋初代実子とも養子ともいう。2代目嵐吉三郎の門下で,嵐宗太郎の名で大坂の子供芝居に出勤。享和1(1801)年に3代目中村歌右衛門の門に入り,中村歌助と改名した。その後初代関三十郎の養子となって2代目を襲名,文化4(1807)年京都北側の大芝居へ初めて出勤。同5年以降三都を行き来したが,天保中ごろから病気がちで,同10年2月中村座の舞台が最後となった。小柄ながら姿がよく,地芸,所作にすぐれ,和実を得意とした。堅い芸風で贔屓も多く「名人関三」と称された。

(加藤敦子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関三十郎(2代)」の解説

関三十郎(2代) せき-さんじゅうろう

1786-1839 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明6年生まれ。2代嵐吉三郎,3代中村歌右衛門の門下をへて初代三十郎の養子となり文化4年大坂で2代を襲名。和実を本領とし,当たり役は曾我(そが)の鬼王。天保(てんぽう)10年9月28日死去。54歳。大坂出身。前名は中村歌助,関歌助。俳名は歌山。屋号は尾張屋。

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