タンジマート(英語表記)Tanzimât

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タンジマート
Tanzimât

1839年の「ギュルハネ勅令」発布以後 76年の「第1次立憲制」実施までのオスマン帝国における一連の「近代化」「西欧化」改革政策をいう。語義は「再編成」。 15~16世紀には充実した軍事力,安定した経済・政治機構に支えられて,アジア,アフリカ,ヨーロッパ三大陸に広がる大帝国を築いた同帝国も,18世紀以後は東西通商路の転換に伴う経済力の衰退,中央集権的政治機構の弛緩,軍事力の衰微が著しく,特に 1768年と 87年の露土戦争に大敗して,国家は滅亡の危機に直面した。このため軍事改革を中心にした西欧化改革政策を実施して危機を打開しようと,軍事,法制,行政,教育,文化諸部門にヨーロッパ的諸制度を導入した。しかしすでに産業革命をなしとげたヨーロッパ列強の経済的進出の前には抗しがたく,この時期にトルコの半植民地化は決定的となった。

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百科事典マイペディアの解説

タンジマート

1839年―1876年のオスマン帝国における西欧化改革運動。〈恩恵改革〉とも。19世紀に入ると帝国は,地方の民族運動や西欧列強の干渉によって解体の危機を迎えた。これを打開するため,スルタン,アブデュルメジトは1839年ギュルハネ勅令を発布し,イスラム国家から法治主義的な近代国家への転換を図って諸制度の西洋化を促進した。しかし状況は変わらず,逆に経済構造が弱体化。1853年クリミア戦争の勃発によって改革は下火となった。その後,1870年代のスルタン,アブデュルアジーズによる専制政治に対し,憲法制定を目指す〈新オスマン人〉などから批判が起き,1876年ミドハト憲法を発布。帝国は第1次立憲制を迎え,改革は一応の決着をみた。

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世界大百科事典 第2版の解説

タンジマート【Tanzimat】

オスマン帝国史上,1839‐76年における一連の西欧化改革運動およびその諸成果をいう。恩恵的改革を意味するタンジマーティ・ハイリエの略。18世紀末以後,オスマン帝国は,地方勢力の伸張,被支配諸民族の独立運動,ヨーロッパ諸国の軍事的・政治的侵略などの結果,帝国解体の危機に直面していた。1839年11月,スルタンのアブデュルメジト1世Abdülmecit I(在位1839‐61)は,外相ムスタファ・レシト・パシャに起草させた〈ギュルハネ勅令〉を発布して,帝国の危機を救い,スレイマン1世(在位1520‐66)時代の繁栄を取り戻すべく,広範な改革政治を実施することを宣言した。

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