改訂新版 世界大百科事典 の解説
アウストロアジア語系諸族 (アウストロアジアごけいしょぞく)
アウストロアジア語族に属する言語を話す諸族の総称。中部インドからインドシナ半島にかけて分布し,その経済形態も,マレー半島のセマン族やタイ,ラオスの山地のピー・トン・ルアン族のような採集狩猟民,ニコバル諸島民のようなイモ類・果樹栽培民,ベトナム中部・南部からラオス,カンボジアにかけての山地諸族(モイ,カー,プノンなどで,モンタニャールと総称する),北タイのラワ族や中国雲南のワ族のような焼畑稲作民,インドのムンダ族のような棚田耕作民,ベトナム人,クメール族,モン族のような平地水稲耕作民にわたっている。
アウストロアジア語系諸族の分布地域は広いが,連続しておらず,タイ語系やチベット・ビルマ語系の諸族によって分断されている。この分布状態から,チベット・ビルマ語系諸族やタイ語系諸族が移動拡大する以前に,すでにアウストロアジア語族に属する言語が東南アジアの大陸部の大部分を占めていたのであろうと考えられる。このようにアウストロアジア語族の言語を用いる人々が広く分布するようになった時期を,オーストリアの考古学者ハイネ・ゲルデルンは新石器時代と考えた。インドシナから北部インドにかけて磨製有肩石斧が分布し,この諸族の分布とかなりよく重なっているからである。しかし,東南アジア考古学の未発達な段階で,しかも石斧形式だけに基づいて出された説なので,まだ証明ずみとは言えないが,新石器段階に焼畑で穀物栽培を営みながら拡大していった可能性が大きいように思われる。
このような土台の上にインド文明の影響圏ではモン族,クメール族,中国文明の影響圏ではベトナム人が,それぞれ独自の文明を生み育てていった。セマン族やピー・トン・ルアン族のような採集狩猟民は,おそらくある時期に固有の言語を失い,アウストロアジア語系の隣族(ことに農耕民)あるいは支配者からその言語を受容したものであろう。他方,アッサムにおける山地民は,西アッサムのカーシ族を除いてナガ諸族などすべて今日ではチベット・ビルマ系の言語を話しているが,もとはアウストロアジア語系の言語を用いていたと見る説もある。事実,インドのムンダ諸族とアッサム山地諸族には,若者宿の組織や巨石記念物をたてる習俗など,共通する要素がある。そして若者宿や巨石およびそれに代わる木製記念物をたてる習俗は,東のカー,モイ諸族の所にも見られるから,アウストロアジア語系諸族にとって古い文化要素とみられる。一般的に言って,アウストロアジア語系諸族の移動史や,祖語時代あるいは初期の移動時代にさかのぼる文化内容再構成の研究は,アウストロネシア語系諸族の場合と比べてかなり遅れている。
執筆者:大林 太良
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報