日本歴史地名大系 「アッケシ場所」の解説
アッケシ場所
あつけしばしよ
厚岸湾(アッケシ湊)を中心として設置された場所(持場)。開設は一六二〇―四〇年代と伝えられ(蝦夷地一件)、一六四三年(寛永二〇年)八月アッケシ商場へ松前藩の船が来航し、二七日には厚岸湾に停泊していたオランダ船カストリクム号を検分した。松前船は米・衣服・酒・煙草などを運んできて、毛皮・鯨油・油脂などと取引するという(松前旧事紀・フリース船隊航海記)。享保十二年所附に「あつけし」とみえている。場所名は「悪消」とも記され、運上屋はヌサウシコタン(現湾月町)に置かれた(東蝦夷地場所大概書)。アッケシ場所は「異国通路の土地にて、要害第一の所に御座候」とされ(蝦夷地一件)、松前藩主直属の商場であった(「蝦夷草紙別録」など)。一七〇一年(元禄一四年)アッケシ場所からキイタップ場所(のちのネモロ場所)が分割されたことにより縮小した(「蝦夷地一件」「福山秘府」など)。キイタップ場所がネモロ場所となると、キイタップ場所の運上屋が置かれていた「キイタツプ」周辺もアッケシ場所に帰属した。天保郷帳には「アツケシ持場」のうちとして「アツケシ」、ヌサウシ、ホニコイ、ノテト、シンテウニコロ、リルウ、タンダカ、テシトロクシ、ヲヤコツ、ベカンベウシ、ノコベリベツ、同持場のうちの島々分として
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報