日本大百科全書(ニッポニカ) 「アドリアノープルの戦い」の意味・わかりやすい解説 アドリアノープルの戦いあどりあのーぷるのたたかい ゲルマン民族大移動の発端をなす西ゴート人と東ローマ軍との戦い。東方からのフン人の進出に追われた西ゴート人は東ローマと盟約を結び、376年ローマ領モエシアに移住。しかしローマ官吏の圧迫に反抗してトラキアに侵入、378年アドリアノープルAdrianople(現在のトルコ領エディルネ)で東ローマ軍を破り、皇帝ウァレンスを戦死させた。次の皇帝テオドシウスは381年盟約を復活、西ゴートのトラキア定住を認めた。[平城照介] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
山川 世界史小辞典 改訂新版 「アドリアノープルの戦い」の解説 アドリアノープルの戦い(アドリアノープルのたたかい)Adrianople 378年,フン族の攻撃を逃れてローマ属州トラキアに到来したゴート人のなかで,領内定着を許されなかった東ゴート族の一派グレウトゥンギ9万人がローマ軍と戦い勝利した戦争。ローマ皇帝ウァレンスが敗死した。 出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報 Sponserd by