ゲルマン民族のうちの東ゲルマン系の集団。原住地はスカンジナビア半島南部と考えられるが、キリストの降誕前後ごろ、近縁のゲピート人とともに大陸に渡り、ウィクセル(ビスワ)川河口付近に姿を現す。このころまではまだ全体の統一が保たれていたらしいが、その後東ゴート人と西ゴート人とに分裂したと思われる。ゴートの名称の由来は、原住地にいたころ、一部がゴトランド島に分かれ住んでいたからとも、また大陸に渡るとき同島を経由したからだともいわれる。紀元後2世紀中葉以後にゴート人はさらに黒海北岸に移動し、東ゴート人はドニエプル川河口を中心に、西ゴート人はドナウ川河口北岸一帯に定住した。3世紀中葉以降、ローマ領内に侵入を繰り返したが、269年クラウディウス帝によって撃退された結果、侵入はやんだ。4世紀、ゴート人の司教ウルフィラの布教活動により、アリウス派のキリスト教を受け入れ、ウルフィラは聖書のゴート語訳も行った。民族移動期、西ゴート人はスペインに、東ゴート人はイタリアに建国した。黒海北岸の原住地に残ったゴート人は、フン人や、ついでスラブ人に吸収されたが、クリミア半島の東岸の、いわゆるクリム・ゴート人だけは、1475年オスマン帝国に征服されるまで独立を保った。
[平城照介]
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東ゲルマンの一部族。原住地はスカンディナヴィア南部。1世紀頃から南下,3~4世紀には黒海北辺に広がり,ヴァンダルその他を従えた。237年にローマと接触,トラキア,モエシアを劫掠し,デキウス帝を戦死させた(251年)。以後小アジア,ギリシアにも侵入したが,アウレリアヌス帝によりドナウの北に押し戻された(270年)。4世紀,アリウス派キリスト教に改宗,この頃から東ゴート(光輝のゴート)と西ゴート(知恵のゴート)に分かれた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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