現代外国人名録2016 の解説
アブドーラ・ザ・ブッチャー
Abdullah The Butcher
- 職業・肩書
- プロレスラー
- 生年月日
- 1936年1月1日
- 出生地
- スーダン
- 本名
- シュリーブ,ラリー
- 経歴
少年時代から数々の格闘技に身を投じ、1958年ザ・シークにスカウトされてプロレス界入り。デビュー当時はプッシーキャット・パイキンス、ゼーラス・アマラなどを名のる。’70年8月日本プロレスへ参戦のため初来日。無名の存在ながら、180センチ超、140キロ超のダルマのような体型と、空手流のファイトスタイル、凶器を駆使する超ラフファイトで名前を売る。’72年6月アーニー・ラッドを破りNWF世界王座を獲得して全米にその名を轟かせた。日本プロレス時代は不遇だったが、同年12月全日本プロレスに参戦してからは“地獄からの使者”と自称してジャイアント馬場と壮絶な抗争を繰り広げ、全日本の看板タイトルを次々と奪取。’77年12月世界オープンタッグ選手権でテリー・ファンクと対戦、テリーの右腕をフォーク攻撃で切り裂くなど、テリーやデストロイヤーとの“血戦”でブッチャーブームを呼び、CMなどにも数多く出演した。’81年アントニオ猪木の新日本プロレスに引き抜かれるが実績を残せず、’87年全日本プロレスに復帰。’96年東京プロレス、のちWAR、大日本プロレスを渡り歩き、2001年三度全日本プロレスに本格復帰。その後も度々来日して日本のリングに登場。“黒い魔術師”として世界的に知られ、米国プロレス団体WWEのリングに上がったことがないものの、2011年WWE殿堂入りを果たした。そのプレゼンターは長年の宿敵テリー・ファンクが務めた。2012年現役引退を表明した。得意技はランニング・エルボー・ドロップ、カラテ・スラスト。182センチ、140キロ。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報