アメリカの法律家。コネティカット州生れ。1869年にイェール大学で文学士を取得後,弁護士事務所で見習をしながら法律を勉強するという当時のアメリカでは通常のコースを経て,72年にコネティカット州で法曹資格を取得。76年に来日し,東京開成学校法律学教師(1876-77),さらに東京帝国大学法科大学教師(1877-84,1894-1912)として,計26年間英米法を講じ,近代法形成期にあった日本において,英米法の知識を広めるのに貢献した。とくに不法行為法を深く研究し,一時帰国してニューヨークで弁護士実務に従事していた間,イェール大学ロー・スクールで1年間教壇に立ったこともある。方法論としては,徹底的な分析法学の立場に立っていた。著書に,《法の基本原理》(1878),《英米法の指導原理》(1884),《英米法入門》(1898)がある。
執筆者:田中 英夫
イギリスの女優。子どものころから舞台に立ち,19世紀後半を代表する大女優となった。1878年から1902年まで,名優H.アービングの相手役を務めたことでとくに有名で,この間に《ハムレット》のオフィーリア,《ベニスの商人》のポーシア,《から騒ぎ》のベアトリスなど,シェークスピア劇の重要な役を演じた。1902年以後しばらく,ロンドンのインペリアル劇場の支配人となった。彼女の芸風は才気に富み,古典と新作の両方で魅力を発揮した。G.B.ショーの《ブラスバウンド船長の改宗》(1906)はとくに彼女のために書かれた戯曲である。1925年,デームDameの称号を与えられた。演出家E.H.G.クレーグは彼女の子である。
執筆者:喜志 哲雄
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イギリスの女優。俳優一家に生まれ、9歳で初舞台。しばらくチャールズ・キーンの劇団に所属。二度の結婚生活などを経て、1874年本格的にロンドンの舞台に復帰し、みごとな演技でたちまち観衆を魅了した。以来長く第一人者の地位を守るが、とくに78年から25年間にわたるヘンリー・アービングとの共演で名声を高めた。オフィーリア、ビアトリス、ジュリエット、マクベス夫人などシェークスピア劇や近代劇の女主人公で名演技を残し、1906年の舞台生活50周年公演には、テリー一家の22人が応援出演した。07年に三度めの結婚をした。また文筆にも秀で、自叙伝やシェークスピア劇の演技論、バーナード・ショーとの名高い往復書簡などを著した。25年デイムに叙せられた。舞台装置家・演出家として有名なゴードン・クレイグは息子である。
[中野里皓史]
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…きめ細かな台詞術にたけ,韻文の表現に特にすぐれている。19世紀の名女優E.A.テリーの血を引く演劇一家の出身で,シェークスピア劇に多く出演し,ロミオ,リア王,《テンペスト》のプロスペロー,マクベスなどが当り役だが,ハムレットが最も有名。ほかにコングリーブ,シェリダン,ワイルドなどのイギリス風習喜劇やチェーホフなどの近代劇でも,台詞の微妙なひだをとらえる演技術を発揮している。…
※「テリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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