翻訳|amateurism
おもにスポーツ界の用語で、アマチュア・スポーツの根幹をなす考え方。報酬を目的に競技するのではなく、趣味として楽しみながら、純粋にスポーツを愛好する人をアマチュアといい、その精神のあり方を強調する主義のことをアマチュアリズムという。
[大西鉄之祐]
アマチュアamateurは、ラテン語のamator(愛好家)という語に由来し、スポートsport(職場を離れて楽しむ)の語とともに用いられるようになった。18世紀のスポーツ界ではジェントルマンという用語がアマチュアと同義語として使われており、当時はジェントルマンでなければアマチュアでないとされた。
[大西鉄之祐]
アマチュアということばがスポーツに初めて取り入れられたのは、1839年にイギリスで行われたボートレースのヘンリー・ロイヤル・レガッタである。成文化こそされなかったが、このとき決められた参加資格が世界で初めてのアマチュア規定であった。
規定が成文化されたのは1866年イギリスの陸上競技選手権大会である。その内容は、スポーツによって生計を営む者と、職業をもつすべての労働者をアマチュアから締め出すものであり、階級意識の強いイギリスでは、スポーツは上流階級の人々同士で行うものというのが、当時の社会通念であった。一方、海を越えたアメリカでは、1868年アマチュア競技会への参加規定が決められた。これは、プロ野球の創設発展、多額の賞金や賭博(とばく)行為の増加などによって、プロフェッショナルprofessionalな競技者との区別を明確化する必要に迫られたからであったが、イギリスのように労働者階級を排除する内容はなかった。イギリスでも徐々に労働者の社会的地位が向上するにしたがい、労働者にもスポーツに参加する道が開かれるようになって、スポーツは大衆化へと進んでいった。
[大西鉄之祐]
日本で初めてアマチュア規定が採用されたのは、1911年(明治44)大日本体育協会(現、日本スポーツ協会)が、ストックホルムで開催される第5回オリンピック大会の予選に参加する選手の出場資格を決めたときである。1917年(大正6)の陸上競技大会では、人力車夫、郵便・牛乳配達人には参加資格がないとして除外し、問題が起こった。
IOC(国際オリンピック委員会)でも1901年に初めて各競技種目共通の規定をつくった。その内容は次のとおりである。(1)金銭のためにプレーする者、(2)プロといっしょにプレーする者、(3)体操教師もしくはトレーナーとして金銭を受ける者、これらの者はアマチュアとして認めていない。当時、アマチュア規定に違反する事件はごく少なかったが、1912年のオリンピックで十種競技に優勝したアメリカのジム・ソープJim Thorpe(1888―1953)はこの規定が適用され、金メダルを剥奪(はくだつ)された。
[大西鉄之祐]
アマチュアリズムの伝統も、1945年以降、流動する社会情勢やスポーツ水準の向上などによって、昔からの考え方では対応しきれなくなり、ついには緩和の方向へと進み、1962年にはクリケットがアマチュア規定を廃止し、1968年にはテニスのウィンブルドン大会がプロフェッショナルにも開放された。このように規定が緩和に向かった原因の一つに、選手の経済問題があげられる。競技者の経済生活を補償する必要に迫られた社会主義国では、国家が養成する選手(ステート・アマチュア)が登場し、アメリカなどのように奨学金によってスポーツに励む選手(スカラシップ・アマチュア)や、多くの資本主義国でみられる、スポンサーや企業の援助を受けながら、その代償として宣伝に使われる選手(コマーシャル・アマチュア)が誕生した。現在のIOCでは最小限の参加資格を定めているが、アマチュア規定は各種目別国際競技連盟(IF)の定める条項によるとされている。ただ、IFのアマ規定はそれぞれ差異があるため、オリンピック大会ではIOCの承認を得なければならない。さらに参加資格の決定は、各国のNOC(国内オリンピック委員会)に委嘱されており、社会体制の異なる各国間でのアマ、プロの区別はいよいよ困難になってきている。
今後、各競技やオリンピック、さらに世界の人々のスポーツに対する考え方に、さまざまな変化が生まれるだろうと思われる。しかし、たとえアマ規定が消滅することがあっても、「精神的にはアマチュアで、技術的にはプロフェッショナルでありたい」と語った登山家ヒラリーのことばは、すべてのスポーツマンの胸に生き続けてほしい道標である。
[大西鉄之祐]
アマチュアamateurはラテン語のamator(愛好者)に由来する。アマチュアリズムは,多くの場合スポーツにおいて問題とされる。スポーツにおけるアマチュアリズムとは,アマチュアは趣味としてスポーツを行い,それによって生計を営んだり賞金を得るなど,経済的な利益を追求してはならないという考え方で,19世紀初頭,イギリスの中産階級の社会で発生した。1839年イギリスの第1回ヘンレー・レガッタで,参加規定に初めてアマチュアという名辞が使われ,66年にはイギリス陸上競技選手権大会で,さらにアマチュア規定が整備され,これがその後長くアマチュアリズムの規範となった。初期には,アマチュアは〈ジェントルマン・アマチュア〉と呼ばれて,紳士と同義語とされ,〈工場労働者,職人,手工業者,召使〉など,すべての労働者をアマチュアとは認めなかったのが著しい特徴で,アマチュアリズムは労働者差別の身分規定でもあった。イギリス陸上競技連盟は80年に労働者除外規定を廃止したが,ヘンレー・レガッタでは1935年まで残されていた。1894年創立のIOC(国際オリンピック委員会)は,イギリスのアマチュアリズムをそのまま継承し,オリンピック大会は世界のアマチュアのスポーツ祭典と規定された。1912年第5回オリンピック大会(ストックホルム)で,陸上競技の五種競技と十種競技で優勝したアメリカのジム・ソープは,以前にセミプロ野球で報酬を得ていたことが暴露され,金メダルを没収される事件があった(IOCは1982年ソープの復権を承認,83年遺族に金メダルを贈った)。
第2次世界大戦後,スポーツの技術,施設,用具などが新たに開発され,世界的にスポーツの技能水準が急激に向上し,スポーツの一流選手は,その名はアマチュアでも,生活時間の大半をスポーツにあてるという矛盾が深まり,アマチュアリズムの非現実的な虚構性が表面化してきた。62年イギリスのクリケット連盟が,長い間の慣習を破って,アマチュアとプロとの差別撤廃に踏み切ったのを発端に,イギリスでアマチュアリズムの価値観が揺るぎ,68年には全英テニス選手権大会(ウィンブルドン)がオープン制を断行,プロ選手にも開放して賞金制を導入した。これにならって,世界の主要な国際テニス大会はすべてオープン制になり,イギリス伝統のアマチュアリズムは,この一角から崩壊を早めた。オリンピック大会では,戦後もブランデージ会長時代(1952-72)には依然としてアマチュアリズムが強調されていたが,キラニンM.M.Killanin会長就任(1972)後,IOCは現実路線をとり,74年の総会でオリンピック憲章の参加者資格規定を大幅に改正し,アマチュアの定義を削除し,当該競技団体が管理することを条件に,選手が必要経費や広告出演料などを受け取ることを承認した。従って,憲章全文から〈アマチュア〉の字句は完全に消滅し,オリンピックは〈世界のアスリート(競技者)のスポーツ祭典〉となった。さらに82年,アマチュアリズムのモデル団体とされていた国際陸上競技連盟(IAAF)が,イギリスなどの提案を入れて,選手が賞金競技に出場することを承認したので,ここにアマチュアリズムは,競技者スポーツの世界では,まったくその存在理由を失うに至った。
→オリンピック →プロスポーツ
執筆者:川本 信正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…IOC憲章はオリンピック競技者の資格として,(1)IOCとIFのルールを誠実に順守すること,(2)IFのルールに従い,NOCとNFの承認なしに,スポーツに参加することで金銭的報酬を得たことがないことの2条件をあげているが,どのような場合に金銭の取得が許されるのか,その細目はすべてIFのルールにゆだねられている。アマチュアリズムにもっとも厳格とされた国際陸上競技連盟(IAAF)が,1982年そのルールを改正し,IAAFの公認する競技会に限り,選手が出演料や報奨金を受け取り,それを各国陸上競技連盟が設ける競技者基金に寄託することを認可したので,金銭取得の禁止を主眼としたアマチュアリズムは大きく崩れ,その他のIFにも波及して,オリンピック参加資格に画期的な変化をもたらした。なお,後出〈近代オリンピック概史〉の〈第4期〉の記述を参照されたい。…
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[アマチュアとプロフェショナルの対立]
近代スポーツの歴史は,アマチュアスポーツとプロスポーツとの対立と論争の歴史でもあった。イギリス流のアマチュアリズムは品性や公正など徳目を優先し,スポーツを余暇行為としてとらえることにこだわり,肉体労働者のスポーツ参加やスポーツを職業とすることに反対し,初期のアマチュア規定ではこれらの人々は厳格に区別され排除されていた。オリンピック大会は世界のアマチュアスポーツの祭典と規定され,その参加規定や競技者資格をめぐってしばしば紛糾した。…
※「アマチュアリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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