アメンホテプ(その他表記)Amenhotep

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アメンホテプ」の意味・わかりやすい解説

アメンホテプ
Amenhotep

[生]前1460頃.下エジプト,アトリビス
[没]前1380頃
古代エジプト第 18王朝のアメンホテプ3世治下の高官。ナイルデルタ地方の貴族出身で,徴兵書記官となり,官吏として昇進した。ナイル川支流の監視部隊の長として海上からの入国者を管理し,また陸上から侵入を企てるベドウィン族の監視にもあたった。のちテーベのアメンホテプ3世墳墓,神殿ヌビアの神殿などの建築を監督,ヌビアの神殿には,ファラオ,女王,高官らとともにアモン神を礼拝する自像を描いた。またファラオの統治 30年を記念して再興された「セド祭」の一つを主宰した。王は彼の生地を飾ってその名誉をたたえ,王の神殿のかたわらに彼の廟を造ることすら命じた。プトレマイオス朝時代には神格化され,数学,学問の神トートとともに配祀された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「アメンホテプ」の解説

アメンホテプ(4世)
Amenhotep Ⅳ

古代エジプト第18王朝の王(在位前1367〜前1350)
父王3世時代からアモン神崇拝の隆盛にともない,首都テーベの神官政治介入専横堕落が増大した。これに対抗するため,4世は都をテル−エル−アマルナに移し,テーベの守護神アモンを否定し,アトン神を絶対唯一神として信仰,自らイクナートン(アトンに愛されるの意)と改称した。しかし,アモン信仰とその神官の伝統的勢力は依然強く,次のツタンカーメン王のときにアモン信仰が再興した。なお,彼の時代にエジプト史でも特異とされる写実的なアマルナ芸術が生まれた。

アメンホテプ(3世)
Amenhotep(Amenophis (ギリシア) )Ⅲ

生没年不詳
古代エジプト第18王朝の王(在位前1413〜前1377)
トトメス3世以来のエジプト最盛期の最後の王。シリアパレスチナを領有し,東方との交易も盛んで,南はヌビアを征服,カルナックに大神殿を増築した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む