日本大百科全書(ニッポニカ) 「インド音楽」の意味・わかりやすい解説
インド音楽
いんどおんがく
古代よりアーリア人の侵入をはじめとして、異民族、異文化との絶えざる接触、融合の舞台となったインド半島は、ヨーロッパ全域に匹敵する広大な面積をもち、この多様な自然条件と民族構成のもとで、地域によってさまざまに異なった言語、宗教、政治など多彩な文化の諸領域を形成してきた。音楽文化に関しても同様であるが、芸術音楽に限れば、今日インド北部中心のヒンドスターニー様式と、南部中心のカルナータカ様式に大別することができる。両者ともインドの他の文化と同じく、共通の基盤をもっている。それは、宇宙原理たるブラフマン(梵(ぼん))と個人原理たるアートマン(我)が一致し、あらゆるカルマ(業)から解脱することを理想とする古代ウパニシャッド哲学を基底とするインド哲学である。それに従い、音楽は美や宗教などさまざまな価値体系や自然現象と密接に関連しながら、高度に洗練された芸術音楽の様式を生み出してきた。一方その基本的な音楽の形成原理は、芸術音楽のみならず民俗音楽、舞踊にも浸透しており、民間宗教に基づくバウルの放浪芸や、農耕暦と結び付いたチョウの奉納舞踊など、インド全土にわたる空間的時間的広がりをもって、多種多様な生き生きとした音楽的場面を現出させているのである。これら民俗音楽と芸術音楽を含めた総体をインド音楽ということができよう。
[中川 真]
古代からイスラム侵入まで
インド音楽の歴史は音楽書、聖典、彫刻、絵画的図像などからその流れをたどることができる。すでにインダス文明の遺跡であるモヘンジョ・ダーロやハラッパーからの出土品に、太鼓や弓形ハープが認められるが、その音楽の実態は不明である。紀元前1500年ごろに西アジアから聖なる教義と祭式を携えて侵入してきたアーリア人によってまとめられた四つのベーダにはベーダ賛歌があり、現存する声楽のなかでは世界最古の伝統をもち、当時それぞれ独自の朗唱形式をもっていた。たとえば『リグ・ベーダ』では3種の高低アクセントをもつ厳格な朗唱法を、『サーマ・ベーダ』では反対に装飾音を多用し、アクセントから自由で音域が広く旋律線の複雑な朗唱法をもっていたという。今日でもヒンドゥー寺院内ではベーダ賛歌が伝承され実際に用いられているが、なかには七音を使用するものもみられ、かならずしもすべてが当初のベーダ賛歌を忠実に伝えるものではない。
バラモン教とベーダに代表される古代インド文化は『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』に結実するが、このヒンドゥー叙事詩は、たとえば南部ケララ州に伝承されている舞踊劇カタカリのようにインド国内で演じられるだけではなく、インドネシアの影絵芝居ワヤン・クリにみられるように、広く東南アジアの文化全体に影響を与えることになった。
それと前後して前5世紀ごろには、旧勢力に対抗する新興自由思想、仏教やジャイナ教がインド全土に広まり、音楽も仏教的色彩を帯びるようになった。前3世紀のアショカ王の時代は小乗仏教で、戒律により音楽、舞踊は遠ざけられていたが、紀元後に北インドを中心に大乗仏教が発展するに及んで、音楽と舞踊は供養の一部として儀式にて大いに奨励されるなど、宮廷に市井に徐々に満ち、大乗教典内の音楽に関する描写も豊かになってゆく。教典にみられる楽器としておもなものには、弦鳴楽器ビーナ、気鳴楽器バンシー、膜鳴楽器ドゥンドゥビなどがある。
4世紀のグプタ朝時代にはバラモン教が再興され、やがてヒンドゥー教として強い勢力をもつに至る。仏教はインド半島より外部へ出、仏教音楽も変形を受けながら声明(しょうみょう)として日本にまで伝わっている。この時期にインド音楽にとって最古かつきわめて重要な理論書であるバラタの『ナーティヤ・シャーストラ』が現れた。今日のインドの音楽理論の中心であるラーガ(音階・旋法の理論)とターラ(拍節周期・リズムの理論)は13世紀ごろにその原形ができあがったが、すでに同書にラーガの前身であるジャーティの理論がみいだされるなど、ターラも含めて後世に大きな影響を与えた。
それによると、オクターブを不均等に分けた22の微小音程シュルティを基礎に、サ・グラーマとマ・グラーマという音階を導き出す。この音階を構成する7音をスバラといい、低い音からsa, ri, ga, ma, pa, dha, niとよぶ。これは西洋音楽の階名(ド・レ・ミ・ファ…)に相当する。そして一つのグラーマから開始音の一つずつずれた音階を7種、上行と下行とで計14種のムールチャナーをつくり、サとマの2グラーマで計28ムールチャナーができあがる。さらに5~6音の音階ターナを加え、以上のムールチャナー、ターナから実際の音楽に使われる基本的旋法である18種のジャーティを定める。この旋法理論が13世紀のシャールンガ・デーバによる『サンギータ・ラトナーカラ』などに引き継がれて、ラーガへと発展してゆくのである。
ターラは周期性をもつ拍節リズムを規定する理論であり、一つの周期全体をいくつかの拍グループに分割する。たとえば現代北インドのターラ、ダマールは5・2・3・4の計14拍を1周期とする。このターラを感得するために、演奏に際して、演奏者と聴衆は手、指、膝(ひざ)、足指などを使って拍子をとることが行われる。また、楽器の変遷では『ナーティヤ・シャーストラ』以後の理論的展開の過程で、弓形のビーナは今日のふくべ付きのビーナの原形へと姿を変えていった。
[中川 真]
南北古典音楽の成立と展開
13世紀にデリーにイスラム王朝ができると、北インドには西アジアの音楽家、楽器、理論などが多く輸入され、15~16世紀までにイスラム的要素を強くもつヒンドスターニー音楽文化が形成された。一方、南インドではインド本来のヒンドゥー伝統を保つカルナータカ音楽文化が栄え、以後インドの音楽伝統は今日に至るまで二大潮流に分かれることになった。
ヒンドスターニー音楽文化(北インド)ではイスラムの楽器タンブール、セタール、ラバーブ、スルナイなどが移入され、インド古来の楽器と結び付いて撥奏(はっそう)弦鳴楽器タンブーラ(持続音用)、シタール(旋律用)、弓奏弦鳴楽器サーランギなどができあがった。また大きさの異なる二つの太鼓を主として指で打奏する膜鳴楽器タブラ・バヤも、その奏法とリズム理論においてイスラムの影響を強く受け、この時期に飛躍的に発展した。音楽理論に関していえば、今日ではそれまで数多く存在したラーガ(北ではラーグとよばれる)とターラ(同じくタール)は、それぞれ10種類、十数種類に統合、整理されている。
カルナータカ音楽文化(南インド)では、17世紀初めにオクターブに12のフレットのついた撥奏弦鳴楽器ビーナが完成した。リズムは両面の打奏膜鳴楽器ムリダンガが受け持つ。音楽理論では17世紀のベンカタマキVekaamakhiによって確立された旋法理論メーラカルタに従っている。これは、22のシュルティを廃して1オクターブを12の半音に等分し、ここから72種のラーガを規定するものである。またターラは35種が定められている。
17世紀後半からはヨーロッパ商人が南インドに進出し、それに伴い伝来したバイオリンやクラリネットが伝統音楽に定着することとなる。またドローン(持続低音)用として小型オルガンであるハルモニウムが民俗音楽に使用され始めた。その後19世紀なかばにインド全土がイギリスの植民地と化し、音楽家の地位も不安定となって芸術活動も衰退したが、1947年のインド共和国成立後は、パキスタンやセイロン(スリランカ)の独立など社会的変動はあったものの、政府の音楽・舞踊の保護政策によって活気を取り戻しつつある。
[中川 真]
インド音楽の特質
以上のような歴史をもつインド音楽は、理論面からみるならば、ラーガが音楽のみならず他の諸芸術や宗教、社会慣習上の諸概念と結び付き、特定の季節や日時、それに伴う情調を細かく規定するとともにターラとも有機的な連関をもち、さらにはさまざまな音楽形式をも有するという厳格な規則性にその特徴がある。しかしながら演奏慣習という点からみるなら、その最大の特徴は即興演奏にある。この一見異質とも思える要素をあわせもつのがインド音楽であり、音楽家はラーガとターラに導かれて旋律と律動の可能性の極限に挑戦し、聴衆はそのできごとをかたずを飲んで見守る。そして創造的な演奏に出会うことにより深い精神的満足を得るのである。このようにして、インド音楽は演奏家、聴衆によって日々新たにつくりだされてきている。
[中川 真]