アララト山
アララトさん
Mount Ararat
トルコの東端,イランとアルメニアの国境に近く,アルメニア高原にある火山。トルコ語ではアウル・ダウ Aǧrı Daǧıという。歴史時代の噴火は知られていないが,山全体が安山岩質の火山岩と黒曜石からなり,溶岩や火山砕屑物に覆われている。東部と北部はアラス川の沖積平野,南西部はバヤズィト平原になっている。山は直径 40kmで 2峰に分かれ,大アララト山は標高 5165mでトルコの最高峰,年間を通じて氷河に覆われ,小アララト山は標高 3896mである。大アララト山の大部分は木が生えていないが,小アララト山はカバノキが生えている。標高 1500~3450mの中腹部には牧草地があり,クルド人の住民が放牧している。伝説によればアララト山は「ノアの箱舟」が着いた場所とされ,その名は旧約聖書(創世記8章)にもみられる。1829年ドイツ人ヨハン・ヤーコプ・フォン・パロットが大アララト山の初登頂に成功した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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アララト[山]
Ararat
トルコ共和国の東端,ワン湖の北東100km,アルメニア,イランとの国境近くにそびえる火山で,トルコの最高峰。トルコ語ではアール・ダアーAğrı Dağıという。2峰に分かれ,大アララト山は標高5165m,万年雪を頂く。小アララト山は3925m。1829年,ドイツ人F.パロットが初登頂に成功した。伝承によれば,〈ノアの箱舟〉がその上にとどまった(《創世記》8:4)という。アルメニア人にとっては世界に離散している同胞の団結と統一を象徴する聖山。アララトは前9~前8世紀にワン湖を中心に強大な勢力を誇りアッシリア帝国に対抗した王国の名称(ウラルトゥ)としても使用された。
執筆者:長場 紘+池田 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアララト山の言及
【ウラルトゥ】より
…隆盛期にはアルメニア高原の全域(現在のアルメニア,トルコ,イランにまたがる)を占めた。アッシリアではこの国のことがウルアトリUruatriまたはナイリNairiとよばれたが,自称はビアイニリBiainili,旧約聖書ではアララト(アララテ)Ararat王国の名で登場している。ウラルトゥはアッシリア名に由来する。…
※「アララト山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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