アルタン・ハン(読み)あるたんはん(その他表記)Altan Khan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルタン・ハン」の意味・わかりやすい解説

アルタン・ハン
あるたんはん
Altan Khan
(1507―1582)

中国、明(みん)代、内(うち)モンゴルのトゥメト部長。俺答汗、阿勒坦汗とも書く。西北モンゴリア、青海方面を征伐して勢力を伸ばし、モンゴル最強のハンとなった。1570年明と和して、順義王の号を受け、また1575年居城フフホト(内モンゴル自治区)に対して明から帰化城の号を受けた。このころからチベット仏教ラマ教)を信ずるようになり、1577年青海湖の近くに寺院を建立し、明から仰華寺の号を受けた。翌1578年ここに黄帽(こうぼう)派チベット仏教の教主ダライ・ラマ3世を招いてその信徒となった。なお、このときハンはダライ・ラマという称号を献じたが、これがダライ・ラマ号の始まりである。

若松 寛]

『青木富太郎著『万里の長城』(1972・近藤出版社)』

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旺文社世界史事典 三訂版 「アルタン・ハン」の解説

アルタン=ハン
Altan Khan

1507〜82
明代の内モンゴル,トゥメット−ハン国の君主
ダヤン=ハンの孫。オイラートを破って勢力強大となり,内モンゴルに覇権確立。一時北京を包囲(1550,庚戌の変)したが,1570年明と和議し,順義王に封ぜられて朝貢貿易を行った。中央アジア・青海を征服して紅帽派チベット仏教に帰依し,この宗派のモンゴル布教に貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内のアルタン・ハンの言及

【アルトゥイン・ハン】より

…17世紀西北モンゴリアのホトゴイト族長。アルトゥイン・ハンの名はロシア人の呼び方で,正しくはアルタン・ハンAltan Khan(金汗)という。その初代ハンのショーロイ・ウバシ・ホンタイジ(1623没)はウブス・ノール湖畔に本拠地を置き,モンゴル王公のうちでロシアと最初に外交関係を持った。…

※「アルタン・ハン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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