中国の前近代外交(朝貢)に伴って生じた貿易形式。文明が孤立的に発展し,北方の牧民を除けば強敵を近隣に長くもたなかった中国では,ヨーロッパ流の主権が国民にある国家相互間の対等で自由な国際外交・互恵貿易の観念に乏しかった。その外交理念は徳を体現する天子を中心点として,中国の徳(文化)が官僚→国内→藩属国→外界へと波及して周辺を文明開化するという文化主義をとり,徳の外面的表現である儀礼を地位に応じて守ることが求められた。国内の民や親藩の諸王が天子に貢ぐように,中国との外交を望む諸外国は,中国側が定める儀礼と貢物を納めれば,希望に応じた威信や文物と十分な回賜(返礼)が授与され,この文物・回賜が貿易の実質であった。こうした外交形式は内陸の北方牧民の懐柔に焦点を合わせた防衛的政策で,漢・唐・元・明・清の各盛期では効力があった。
宋代に外交威信が衰えた代りに中国の経済的富力が諸外国をひきつけ,一方で中国がはじめて海上への商業発展に乗り出すと,異文化・異宗教の遠方の国々も実質的貿易を求めて朝貢の列に加わるようになり,建前としての文化主義がかげり,経済主義がしだいに表面化してきた。宋・元・明の互市・市舶の制は一種の妥協策で,海禁(鎖国)をしきながら国境で貿易目的の朝貢を処理しつつ財政収入をも期するようになった。海洋への発展は明の永楽帝までで止んだが,すでに開かれた東アジア,東南アジアの航海は密貿易プラス勘合貿易として発展し,大航海時代に西洋人がこの航海をひき継いで中国の海港に到来した。西洋に発達してきた国際公法の外交・貿易の主張は,国境封鎖を宗(むね)とする中国側の対応と衝突し,イギリスがアヘン戦争を起こして伝統規制を破り,またロシアがキャフタ条約に至る一連の国境条約を結んで互恵貿易を進めたことで新時代を迎えた。日本は宋以後は朝貢の列に加わらず,明代では市舶・会所制下の勘合貿易を通じて実利を収めた。
執筆者:斯波 義信
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進貢(しんこう)貿易とも。前近代のアジアにみられる貿易形態。朝貢とは藩属国が宗主国に対して使節を派遣し,土産の物を献じて君臣の礼を表明する政治的儀礼のこと。藩属国の使節による進貢物に対し,宗主国は返礼として回賜(かいし)物を給付した。朝貢には回賜がともなうため,これを一種の貿易とみなして朝貢貿易とよぶ。宗主国はみずからの徳を示すため,進貢物をはるかにこえる回賜物を与えるのが通例で,藩属国は莫大な利益をえた。中国の歴代王朝は,朝鮮・日本など周辺諸国との間に冊封(さくほう)関係を結び,それらの国の王から中国皇帝に対する朝貢がしばしば行われた。明の太祖洪武(こうぶ)帝は,周辺諸国の主権者を国王に封じ,その国王の名義で派遣する使節だけに貿易を許可し,それ以外を密貿易として禁止した。狭義には,進貢・回賜をさして朝貢貿易とよぶが,多くは商人である使節の随伴者の付帯貨物を中国政府が買いあげることも含めていう。
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…しかし,実際には,朝貢使節が各国の特産品を中国皇帝に献上する見返りとして,各国はそれをはるかに上回る価値の中国の文物を授けられるという側面もあった。朝貢貿易と呼ばれるこの外国貿易に周辺諸国の支配者は実利を見いだしたのである。また,服属の意識の程度も国と時代によって相当異なっていた。…
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