朝貢貿易(読み)ちょうこうぼうえき(英語表記)cháo gòng mào yì

精選版 日本国語大辞典 「朝貢貿易」の意味・読み・例文・類語

ちょうこう‐ぼうえきテウコウ‥【朝貢貿易】

  1. 〘 名詞 〙 中国、明の時代の対外貿易制度。貿易を望む諸外国は明の属国として貢物を奉り、明はその使者に従う者に交易を許した。

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改訂新版 世界大百科事典 「朝貢貿易」の意味・わかりやすい解説

朝貢貿易 (ちょうこうぼうえき)
cháo gòng mào yì

中国の前近代外交(朝貢)に伴って生じた貿易形式。文明が孤立的に発展し,北方の牧民を除けば強敵を近隣に長くもたなかった中国では,ヨーロッパ流の主権が国民にある国家相互間の対等で自由な国際外交・互恵貿易観念に乏しかった。その外交理念は徳を体現する天子を中心点として,中国の徳(文化)が官僚→国内→藩属国→外界へと波及して周辺を文明開化するという文化主義をとり,徳の外面的表現である儀礼を地位に応じて守ることが求められた。国内の民や親藩の諸王が天子に貢ぐように,中国との外交を望む諸外国は,中国側が定める儀礼と貢物を納めれば,希望に応じた威信や文物と十分な回賜(返礼)が授与され,この文物・回賜が貿易の実質であった。こうした外交形式は内陸の北方牧民の懐柔に焦点を合わせた防衛的政策で,漢・唐・元・明・清の各盛期では効力があった。

 宋代に外交威信が衰えた代りに中国の経済的富力が諸外国をひきつけ,一方で中国がはじめて海上への商業発展に乗り出すと,異文化・異宗教の遠方の国々も実質的貿易を求めて朝貢の列に加わるようになり,建前としての文化主義がかげり,経済主義がしだいに表面化してきた。宋・元・明の互市市舶の制は一種の妥協策で,海禁鎖国)をしきながら国境で貿易目的の朝貢を処理しつつ財政収入をも期するようになった。海洋への発展は明の永楽帝までで止んだが,すでに開かれた東アジア,東南アジアの航海密貿易プラス勘合貿易として発展し,大航海時代に西洋人がこの航海をひき継いで中国の海港に到来した。西洋に発達してきた国際公法の外交・貿易の主張は,国境封鎖を宗(むね)とする中国側の対応と衝突し,イギリスがアヘン戦争を起こして伝統規制を破り,またロシアがキャフタ条約に至る一連の国境条約を結んで互恵貿易を進めたことで新時代を迎えた。日本は宋以後は朝貢の列に加わらず,明代では市舶・会所制下の勘合貿易を通じて実利を収めた。
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百科事典マイペディア 「朝貢貿易」の意味・わかりやすい解説

朝貢貿易【ちょうこうぼうえき】

中国の前近代的外交(朝貢)に伴って生じた貿易形式。中国は古来,中華思想によって諸外国を藩属国視してきたが,その具体的な外交関係は,中国皇帝への貢物献上に対する賞賜品給付という,一種の貿易関係を含む政治的儀礼によっていた。(みん)は冊封(さくほう)体制をとって朝貢形式のみを正式な外交としており,朝鮮琉球などは典型的な朝貢国であった。日本へも倭寇(わこう)の禁圧とあわせて再三朝貢を要求。1401年,足利義満が博多商人らを明に遣わして通商を求め,1404年から勘合符により,日本国王から明への朝貢という形式で開始された。→勘合貿易琉球貿易
→関連項目尚巴志日本国王

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝貢貿易」の意味・わかりやすい解説

朝貢貿易
ちょうこうぼうえき

中国の前近代的な貿易関係をいう。中国には古来,中華思想華夷思想があり,夷狄 (いてき) に対する貿易は,中国が与える恩恵であると考えられた。これは国内の封建的な君臣関係を諸外国に適用するもので,中国は宗主国,諸外国は藩属国とみなされ,諸外国の君長が中国皇帝の徳を慕い,貢物をもってやってくる (朝貢) と,皇帝は恩恵として回賜を与え国王に任命する (冊封) 。これによって皇帝はみずからの徳を示し,また国王は中国との関係を確保し,国内において正統性を獲得できた。中国の朝貢国と認められると,定められた時期・ルート・儀礼を守って朝貢することになる。このような外交関係を貿易面にまで拡大したのは明朝で,さらに清朝にも受継がれ,政経不分離の原則を打出し,諸外国の政治的不信に対しては朝貢貿易の回数,貢船,人数などに制限を加える厳重な貿易統制となった。しかし一方,この秩序が両者の平和的関係を保障するため,一種の安全保障措置となっていた。これは基本的には中国と諸外国との一対一の関係の集積だったが,各国は朝貢使節の往来を通じて,中国に集ってきた他の国の物産・情報も入手することができた。中国を上位とする不平等な階層的構造ではあったものの,朝貢国が皇帝の徳を慕うというのはあくまでも中国側の一方的なあとづけにすぎず,一定の手続が守られているかぎり中国はその内実を問うことはなく内政に干渉することもなかったので,諸外国は基本的に自主性を保てた。これを中国を中心に成立していた階層的な世界秩序ととらえ,朝貢体制あるいは冊封体制ということもある。しかしこうした階層的秩序や恩恵としての貿易は,主権平等に基づく近代西欧の国際関係や自由貿易の原則と対立し,19世紀,アヘン戦争により打ち破られた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「朝貢貿易」の解説

朝貢貿易
ちょうこうぼうえき

進貢(しんこう)貿易とも。前近代のアジアにみられる貿易形態。朝貢とは藩属国が宗主国に対して使節を派遣し,土産の物を献じて君臣の礼を表明する政治的儀礼のこと。藩属国の使節による進貢物に対し,宗主国は返礼として回賜(かいし)物を給付した。朝貢には回賜がともなうため,これを一種の貿易とみなして朝貢貿易とよぶ。宗主国はみずからの徳を示すため,進貢物をはるかにこえる回賜物を与えるのが通例で,藩属国は莫大な利益をえた。中国の歴代王朝は,朝鮮・日本など周辺諸国との間に冊封(さくほう)関係を結び,それらの国の王から中国皇帝に対する朝貢がしばしば行われた。明の太祖洪武(こうぶ)帝は,周辺諸国の主権者を国王に封じ,その国王の名義で派遣する使節だけに貿易を許可し,それ以外を密貿易として禁止した。狭義には,進貢・回賜をさして朝貢貿易とよぶが,多くは商人である使節の随伴者の付帯貨物を中国政府が買いあげることも含めていう。

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旺文社世界史事典 三訂版 「朝貢貿易」の解説

朝貢貿易
ちょうこうぼうえき

中華思想にもとづいて中国が古くからとってきた恩恵的な貿易形態
各国が中国の皇帝に貢 (みつ) ぎ物を献上し,返礼として皇帝が下賜 (かし) 品を与えるという形で行われた貿易で,冊封体制下の貿易形態として漢代から存在し,明代に確立した。したがって,貿易はつねに政府の厳重な統制下に置かれた。このような考え方や制度は,18世紀末から西欧人によって強く批判され,アヘン戦争を誘発し,南京条約以後は通用しなくなった。

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世界大百科事典(旧版)内の朝貢貿易の言及

【東アジア】より

…しかし,実際には,朝貢使節が各国の特産品を中国皇帝に献上する見返りとして,各国はそれをはるかに上回る価値の中国の文物を授けられるという側面もあった。朝貢貿易と呼ばれるこの外国貿易に周辺諸国の支配者は実利を見いだしたのである。また,服属の意識の程度も国と時代によって相当異なっていた。…

※「朝貢貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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