アルベルトザッケローニ(英語表記)Alberto Zaccheroni

現代外国人名録2016 「アルベルトザッケローニ」の解説

アルベルト ザッケローニ
Alberto Zaccheroni

職業・肩書
サッカー指導者 元サッカー日本代表監督

国籍
イタリア

生年月日
1953年4月1日

出生地
エミリア・ロマーニャ州メルドラ

別名
愛称=ザック〈Zac〉

受賞
イタリア・サッカー連盟特別賞〔2011年〕

経歴
少年時代は地元チェゼナティコ、ボローニャの下部組織でプレーするが、16歳の時に肺炎を患い、サッカー選手の道を断念。1983年30歳の時、セリエCのチェゼナティコでプロ監督に転身。’95年から率いたウディネーゼでいきなりセリエA昇格を勝ち取る。“3-4-3”の布陣を編み出し、’97〜98年シーズン3位と躍進、UEFA杯(現・UEFAヨーロッパリーグ)に出場。その手腕を評価され、’98〜99年シーズン、ACミラン監督に就任。1年目でリーグ制覇を果たす。以後ラツィオインテルトリノで監督を歴任。2006年のトリノ監督時代に日本代表FW大黒将志を指導した。2009〜2010年シーズン途中でユベントス監督。2010年8月サッカー日本代表監督に就任。イタリア人初の日本代表監督となる。10月強豪アルゼンチンを1-0で下し、初陣を飾る。2011年1月アジア杯のシリア戦で公式戦に初勝利し、同大会最多となる4回目の優勝に導く。その功績により、同年2月イタリア・サッカー連盟特別賞を受賞。2014年W杯ブラジル大会は2敗1分でグループリーグ敗退となり、代表監督を退任。“カテナチオ(かんぬき)”の言葉で知られるイタリア流の堅守のサッカーとは一線を画した、攻撃志向の強い指揮官と評される。愛称は“ザック”。

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知恵蔵 「アルベルトザッケローニ」の解説

アルベルト・ザッケローニ

サッカー日本代表監督。1953年4月1日生まれ。イタリア北部、エミリア・ロマーニャ州メルドラ出身。少年時代はサッカー選手だったが、16歳の時に健康の問題で競技から離れた。他の仕事をしながら地元でサッカー指導者を続け、監督資格試験に合格、30歳でセリエC2の監督に就任。イタリア国内の数々のクラブで監督を務めた。1995年からウディネーゼを率い、残留争い常連チームを、97~98年にはセリエA3位に引き上げた。99年にACミラン(セリエA)を優勝に導いたことが最大の実績とされる。その後ラツィオ、インテル・ミラノ、トリノ・フットボールクラブの指揮官を歴任したが成績は振るわず、欧州CLでは決勝トーナメント進出を逃し続けた。ちなみにトリノでは、日本人選手・大黒将志と共に戦った経験を持つ。そして2009年途中からは名門ユベントスの監督となるが、7位に終わった。これをもってイタリア国内では「過去の名将」と揶揄(やゆ)されることもある。
戦い方としては、イタリア伝統のカテナチオ(かんぬき)という守備の堅い戦術をとらずに、攻撃を重視した3-4-3フォーメーションを好むが、これに固執することもなく、戦況に応じた柔軟性も併せ持つ。選手との対話を重視してチームを率いる人だともされる。控えめで誠実な人柄が、接した人々から好感を持たれるが、職人肌気質の頑固なところもあるとされ、ACミランオーナーのベルルスコーニ・イタリア首相とのあつれきは有名。
日本代表監督就任にあたり、チームはもちろん、日本を理解しようとする姿勢は真摯(しんし)。14年W杯で日本チームがもう1ランク上に進むため、これまでのように日本国内での指導実績や関係者の紹介から選ぶのではなく、「世界市場」に打って出て獲得した人材。W杯招致を目指す日本の顔としての活躍も期待される。愛称は「ザック」。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2010年)

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最新 世界スポーツ人名事典 「アルベルトザッケローニ」の解説

アルベルト ザッケローニ
Alberto Zaccheroni
サッカー

サッカー日本代表監督
生年月日:1953年4月1日
国籍:イタリア
出生地:エミリア・ロマーニャ州メルドラ
受賞歴:イタリア・サッカー連盟特別賞〔2011年〕
経歴:少年時代は地元チェゼナティコ、ボローニャの下部組織でプレーするが、16歳の時に肺炎を患い、サッカー選手の道を断念。1983年30歳の時、セリエCのチェゼナティコでプロ監督に転身。’95年から率いたウディネーゼでいきなりセリエA昇格を勝ち取り、’97〜98年シーズンには3位の好成績を収め、UEFA杯(現・欧州リーグ)に出場。その手腕を評価され、’98〜99年シーズンにACミラン監督に就任。1年目でリーグ制覇を果たす。以後、ラツィオ、インテル、トリノで監督を歴任。2006年のトリノ監督時代にFW大黒将志を指導したこともある。2009〜2010年シーズン途中でユベントス監督に就任し、シーズン終了後退任。2010年8月サッカー日本代表監督に就任。イタリア人初の日本代表監督となる。10月強豪アルゼンチンを1-0で下し、初陣を飾った。2011年1月アジア杯のシリア戦で公式戦に初勝利し、同大会最多となる4回目の優勝に導く。日本をアジア・カップ優勝に導いた功績により、同年2月イタリア・サッカー連盟特別賞を受賞。“カテナチオ(かんぬき)”の言葉で知られるイタリア流の堅守のサッカーとは一線を画した、攻撃志向の強い指揮官と評される。愛称は“ザック”。

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