アンカラの戦い(読み)あんからのたたかい(英語表記)Ankara

翻訳|Ankara

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンカラの戦い」の意味・わかりやすい解説

アンカラの戦い
あんからのたたかい
Ankara

1402年にティームールとオスマン・トルコバヤジト1世との間に行われた戦い。バヤジト1世がティームールに味方した小アジアの諸侯を圧迫し、とくにシバス侯国を攻撃したので、ティームールはインド象軍を含む15~16万の大軍を率いて小アジアに侵入し、バヤジト1世は7~8万の兵力をもってこれを迎えた。戦いは7月20日、アンカラ北方のチュブク草原で早朝から夜にかけて行われたが、トルコ軍のなかにはティームール側へ寝返るものが続出し、バヤジト1世の親衛軍団イェニ・チェリもほとんど全滅してトルコ軍は大敗した。バヤジト1世は逃げる際に乗馬が倒れて捕虜となり、檻(おり)に入れられて連行されたが、翌1403年病死した。一説には自殺したともいう。こののちバヤジト1世の遺子の間にスルタン位をめぐる争いが起こって、約10年間空位時代が続き、オスマン・トルコ領は分裂して、その発展が一時遮られた。

 戦いの原因について、これは、ティームールに敵対したトルコ系黒羊部(カラ・コユンル)の族長をバヤジトが保護したために起こったという説もある。

[護 雅夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンカラの戦い」の意味・わかりやすい解説

アンカラの戦い
アンカラのたたかい

1402年7月,アンカラの北郊バヤジッド1世の率いるオスマン帝国軍とチムール (帖木児)のトルコ・モンゴル軍との間に行われた決戦。オスマン軍の敗北に終り,バヤジッド1世は捕虜となった。戦後 12年間オスマン朝は中絶した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android