日本大百科全書(ニッポニカ) 「イスラム音楽」の意味・わかりやすい解説
イスラム音楽
いすらむおんがく
中近東諸国を中心として、西はモロッコから東はインドネシア、フィリピン南部に広がるイスラム教徒による宗教的音楽慣習の総称。ここで「宗教的音楽慣習」ということばを使ったのは、イスラム教正統派は、教義上、音楽を官能的快楽をもたらすものとして容認してはいないからである。しかしながら、さまざまな宗教行事や儀式などで現出する音現象は、そうした担い手の意識とはかかわりなく、音楽的表現としてとらえうるものである。その様態はイスラム社会を構成する民族と同じくらいに多様であるが、ここでは教義的要因と民族的要因の両方を考慮に入れて、全イスラム社会にほぼ共通する音楽的慣習、および局地的にみられるものではあるが、きわめて特徴的な慣習について考察することにする。
[山田陽一]
モスクの音楽
これは正統派によって容認された音楽的慣習で、スンニー派、シーア派、その他ほとんどの宗派に共通し、イスラム圏全域にみられるものである。
その一つが、礼拝式などにおけるコーランの読誦(どくしょう)もしくは詠唱である。その起源は7世紀後半にさかのぼるが、ユダヤ教やキリスト教の音楽伝統にではなく、古代の呪文(じゅもん)や前イスラム期における詩の詠唱に由来すると考えられている。いわば語りと歌の中間様式をとり、読誦的側面については、聖なるテキストを正確に伝える目的から、抑揚、発音、休止の方法やテンポに関して厳格な規則(タジウィード)が成文化されている一方、コーランをより感動的、効果的に伝えるために、詠唱的側面については、世俗的旋律に基づいてはならないという点を除けば、比較的自由である。コーランの詠唱は、教義上、芸術音楽や民俗音楽とは切り離して考えられてはいるものの、アッバース朝時代には当時の民衆歌や舞踊歌の旋律にあわせて詠唱することが流行したし、またエジプトやトルコには明らかにアラビア音楽の旋法マカームに影響を受けたメリスマ(一つの母音を旋律化して延ばして歌う)様式も存在する。しかし、そうした世俗化は一時的、局地的な現象であったし、また詠唱の基本的特徴はいまなお芸術音楽からは独立しており、過度に装飾を施したり楽器で伴奏したりすることは避けられている。
第二の音楽的慣習に、礼拝の時を告げる呼びかけとしてのアザーンがある。アザーンは、毎日5回と金曜日ごとの集団礼拝の際に専門の朗誦師ムアッジンによって唱えられる。その文句は定型的で7句(シーア派の場合は8句)からなり、呼びかけが行われる時間と礼拝の重要度に応じて反復や特定の変形を伴う。アザーンはミナレット(尖塔(せんとう))の上から一度、そして礼拝の前にもう一度モスクの中で詠唱される。アザーンを行う際の条件は、コーラン読誦のそれに類似している。すなわち、ことばの明確な理解のために発音法などが厳しく規制されているが、詠唱的側面については特別の規則はない。そのため、狭い音域で同一テンポで行われる単なる呼びかけに近いものから、広い音域とマカームに類似もしくは関連した旋律構造をもつメリスマ装飾のついた詠唱まで、地域によってさまざまな違いがある。もっとも近年、録音テープや拡声器が使用されるようになって、アザーンの音楽的多様性が衰退してきたという指摘もある。
第三の音楽的慣習には、さまざまな賛美歌や祭礼の歌が含まれる。
(1)ムハンマド(マホメット)の生誕祭マウリードにおいては、ムハンマドの生涯が叙事詩的に語られることが中心行事であるが、語りに先だちまずコーランが読誦され、語りの間や語りのあとに合唱賛美歌テブシーヒが歌われる。
(2)スーフィーや異端諸派が行うムハンマドの昇天(ミュラージュ)祭では、特別に作曲された合唱作品(トルコではミラーシエとよばれる)が披露される。
(3)スンニー派アラビア諸国とトルコにはムハンマドをたたえた歌ナアトがあり、通常は無伴奏で歌われる。
(4)金曜日の集団礼拝式や祭日には、ドゥアー(祈願)やタクビール(「アラーは偉大なり」という賛美の文句の詠唱)がモスクの聖職者によって行われる。その様式は単純な読誦から高度に芸術的な歌いぶりまでさまざまに異なる。
(5)巡礼者の出発や帰還に際して歌われる巡礼(ハッジュ)の歌がある。これはほとんどの場合、合唱もしくは合唱のリフレインを伴う独唱によるが、エジプトではミズマール・バラディーとよばれる器楽伴奏(ミズマールというオーボエとタブル・バラディーという円筒型太鼓による)で歌われる。
(6)ラマダーンにおいては、1日の断食の開始と終了、および夜の祈りの時間が声と楽器によって告げられる。その楽器にはトルコではダブル(大きな円筒型太鼓)かズルナ(ダブルリードの気鳴楽器)、モロッコではンフィール(トランペット)が用いられる。また早朝には、1日の断食前の食事の時を告げる歌が夜警によって歌われ、トルコではとくに、テムシートとよばれる賛美歌が夜の祈りの時間にミナレットから歌われる。さらにラマダーンの終わりに催される宴会では、詠唱的な祈りが行われる。
こうした賛美歌や祭礼の歌は、トルコではイラーヒ(狭義には神聖な芸術歌曲をさす)、アラビアではカシーダ、パキスタンやインドではカッワーリーと総称されるが、いずれも世俗的芸術音楽の影響を強く受けたものである。
[山田陽一]
スーフィーの音楽
モスクにおける音楽的慣習があくまでも「非音楽」と考えられているのに対し、イスラム神秘主義思想(スーフィズム)の担い手であるスーフィーは音楽と舞踊の効用を認め、それらの実践によって神秘的恍惚(こうこつ)境に達しようとする陶酔儀礼を発展させてきた。なかでもトルコのメウレウィー教団は、集団的パフォーマンスとしての儀礼の形式を整え、そこに音楽と舞踊を積極的に導入してそれらを発展させたことで有名である。セマーイとよばれる彼らの儀礼は、まずコーラン読誦とジクル(集団で神の名を呼び祈ること)で始まる。次に賛美歌ナアトの無伴奏独唱、縦笛ネイによる独奏タクシーム(ここでマカームが確定される)、ネイやタンブール(リュート属撥弦(はつげん)楽器)、ルバーブ(擦弦楽器)、クデュム(椀(わん)型太鼓)、ハリレ(シンバル)などによる合奏ペシュレフが行われたのち、アーイーンとよばれる舞踊が、拍子とテンポの異なる四つの声楽曲セラームにあわせて器楽伴奏で行われる。このとき、踊り手は頭を軽くひねり、右手を肩より上にあげ、左手を下にさげて単純なステップで輪になって旋回する。一連の舞踊が終わると、ふたたびコーラン読誦とジクルが行われ、儀礼は終了する。そこに現出する音楽はすべて、マカームに基づく世俗的芸術音楽に強い影響を受けており、タクシームやペシュレフといった世俗的器楽形式を吸収して、サーズ・セマーイシとよばれる独自の音楽形式が生み出された。1925年トルコの修道院閉鎖に伴い、メウレウィー教団の音楽は衰微していったが、すでに各地に広がっていたスーフィーの音楽は、現在でもモロッコからインドに至るイスラム社会において形を変えながらも残存している。
[山田陽一]
シーア派の音楽
来世を強調するシーア派の教義は他の宗派以上に音楽と対立するため、シーア派イスラムを国教とするイランなどでは、モスクの音楽はあまり発達せず、かわりに殉教者の死を悼む儀式におけるロウゼをはじめ、タアジエ、ダステ・ガルダーニーといった独特の音楽的パフォーマンスが展開されてきた。ロウゼとは殉教者ホセイン(シーア派教主)にまつわる物語の詠唱であり、間で哀悼歌ノウヘが歌われる。ロウゼの詠唱には、ダストガー(ペルシア音楽の旋法)に基づくものとそうでないものとがある。タアジエはホセインの受難物語を中心とした典礼劇で、合唱や器楽による伴奏がつく。この劇の上演は1930年代にいったん禁止されたが、タアジエ歌手の音楽的伝統は、イラン古典音楽様式アーバーズのなかにいまなお存続している。ダステ・ガルダーニーはむち打ち苦行僧の行列で、地区ごとに組織された苦行僧たちが哀悼歌ノウヘを交唱的に重々しく歌い、小さな鎖の束で自らの胸や背中をたたきながら各地区の路地を行進していくというものである。
[山田陽一]