イタリア・トルコ戦争(読み)いたりあとるこせんそう(英語表記)Guerra italo-turca イタリア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イタリア・トルコ戦争」の意味・わかりやすい解説

イタリア・トルコ戦争
いたりあとるこせんそう
Guerra italo-turca イタリア語

北アフリカのトルコ領、トリポリキレナイカ(のちリビア改名)をめぐるイタリアとトルコとの戦争(1911~12)。1908年の青年トルコ党の政権獲得以後、トリポリ在住のイタリア人に対するトルコの圧力が強まり、これがイタリアの民族主義運動を刺激していたが、11年にフランスがモロッコを保護領にしてからは、北アフリカ沿岸における勢力均衡の必要上イタリアのトリポリ進出の機運は高まった。イタリア経済の行き詰まりの打開を求めていたイタリア首相ジョリッティは、これ以上猶予することはトルコの背後にいるドイツを利することになると考え、同年9月28日トルコとの戦争に踏み切った。戦争はイタリアに有利に展開し、同年11月5日、イタリア国王はトリポリとキレナイカのイタリア併合を宣言した。翌12年10月休戦が成立し、ローザンヌ条約により、トリポリ、キレナイカ地方のイタリア併合が認められた。

[重岡保郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イタリア・トルコ戦争」の意味・わかりやすい解説

イタリア=トルコ戦争
イタリア=トルコせんそう
Italo-Turkish War

リビア戦争とも呼ばれる。 1911年9月から 12年 10月にかけてのイタリアとオスマン帝国との戦争。イタリアは,アドワの敗戦植民地獲得に失敗したあと,北アフリカのオスマン帝国領トリポリタニアの侵略計画を立て,挑発によってオスマン帝国との衝突事件を起し,11年9月オスマン帝国に宣戦布告。イタリア軍のトリポリ砲撃に対し,海軍力をもたないオスマン帝国は陸上防衛軍を組織し,ただちに反撃したが,国際情勢の切迫により早期解決を余儀なくされた。イタリアは 12年 12月のローザンヌ平和条約でトリポリタニア,キレナイカの支配権を確立し,両地を合せてリビアという名にして自己の植民地とした。

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