リビア東部,地中海に臨む都市でベンガジ州(旧,キレナイカ州)の州都。人口63万6992(2003)。アラビア語ではバンガージーBanghāzī。町の起源は前7世紀にさかのぼり,ギリシア人が建設したアフリカ植民都市の一つ,ベレニスとして誕生し,以来幾多の外国による支配を経験した。古来西アフリカのワダーイに通じる隊商路の起点であったとともに,地中海貿易の港としても重要であった。周辺の丘陵地帯の遊牧民がベンガジへ持ち込む牛,バター,蜂蜜,羊毛,ダチョウの羽などのうち,牛とダチョウの羽は海を越えてマルタ,マルセイユまで輸出され,また羊毛は西のトリポリへ運ばれて毛織物やじゅうたんの原料として供された。19世紀末のベンガジの人口は5000人ほどで半分近くがユダヤ教徒であったが,彼らの多くはこれらの商品を扱う商人であった。
リビアが1911年イタリアに占領されたのに伴い,ベンガジはイタリア人入植都市の性格を強めつつ近代的国際港として,また工業都市として発展,34年以降リビアの4州の一つ,ベンガジ州の州都となった。ベンガジの人口は1911年1万9000,38年には約7万(うち1/3はイタリア人)に膨張し,製粉,皮なめし,製塩,海綿採取などの産業が盛んとなった。第2次大戦中イタリア軍と連合国軍の戦場となり大打撃を被り,41年イギリス軍占領時に同市の人口は3万に激減していた。51年リビア王国独立でキレナイカ州(現,ベンガジ州)の州都となり,リビアの貿易・経済・交通・文化の中心として重要な地位を占め,一時は夏の間ここが首都と定められた。56年には現在のガル・ユーニス大学の前身が設立された。リビアの石油開発と69年のリビア革命の後,ベンガジの重要性は一段と強まっている。
執筆者:藤田 進
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北アフリカ、リビア東部のキレナイカ地方の中心都市。シルテ湾北東端に位置する港湾都市である。人口69万6500(2001推計)。同国ではトリポリに次ぐ第二の都市で、独立後は首都の一つであった。古くはベレニスBereniceとよばれたギリシアの植民都市で、サハラへの隊商路の起点として栄えた。アラブ人の侵入で破壊されたが、15世紀トリポリタニアからの商人が再建した。1911年以後イタリアの植民地となり近代的な市街と港湾が建設された。第二次世界大戦中戦災を受けたが、戦後の石油開発の進展で現代的な大都市に発展した。工業では製粉、食品加工、製油などがあり、皮細工、じゅうたんなどの伝統工芸も行われる。大学と国際空港がある。
[藤井宏志]
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「バンガージー」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…地中海交易を掌握していたフェニキア人,ギリシア人はそうした条件下の北アフリカに植民都市群を建設,これらを,大麦,小麦,ヨーロッパから導入したオリーブやブドウなどを生産する穀倉地として,また黄金,象牙,奴隷,ダチョウの羽根などのアフリカ産品の交易基地として確保した。西のトリポリタニアには前8世紀,カルタゴを中心にフェニキア人の形成した西地中海交易圏の一環としてレプティス・マグナ(現,トリポリ),サブラータが,また前7~前6世紀に東のキレナイカにギリシア人のキュレネ,ベレニケ(現,ベンガジ)などの植民地群が建設された。植民都市群は一定の交易関係を除けば,内陸部とは断絶した,いわばヨーロッパ世界の一部であり,砂漠周縁のベルベル原住民の侵入や略奪に絶えず脅かされた。…
※「ベンガジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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