ロードス島(読み)ロードストウ(その他表記)Ródhos

デジタル大辞泉 「ロードス島」の意味・読み・例文・類語

ロードス‐とう〔‐タウ〕【ロードス島】

RodosΡόδος/〈英〉Rhodes》ギリシャ東部、地中海ドデカネス諸島東南の島。小アジア半島の南西に位置する。紀元前10世紀ごろドリス人が移住し、ホメロスの詩にも登場する同島における古代三大ポリスリンドスイアリソスカメイロスなどの都市国家を形成。中心地ロードスは、1988年に「ロードス島の中世都市」の名で世界遺産文化遺産)に登録された。ロドス島

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精選版 日本国語大辞典 「ロードス島」の意味・読み・例文・類語

ロードス‐とう‥タウ【ロードス島】

  1. ( ロードスはRhodes ) エーゲ海南東部、小アジア半島の南西沖合にある島。ドデカネス諸島の主島。ギリシア領。中心都市ロードス。前一二世紀ごろドーリア人が移住し、イアリュソス・リンドス・カメイロスの三ポリスを形成。前五世紀初めにロードス市を建設した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ロードス島」の意味・わかりやすい解説

ロードス[島]
Ródhos

エーゲ海南東部,アナトリア半島南西端沖にあるギリシア領の島。古代名はロドスRhodos。面積1398km2,人口約6万7000。南北78km,東西35kmのサツマイモ形の島全体は水に恵まれ,山間部は現在でも深い森林に覆われている。土地は肥沃でかんきつ類,オリーブ,ナシ,ピスタシオが栽培されている。ドデカネス(ドデカニソス)諸島最大の島で,その立地条件から,青銅器時代すでに,エーゲ海域とオリエント世界を結ぶ海上交通の要衝であった。イアリュソスIalysos近辺ではクレタ文明に続いてミュケナイ文明の拠点が確認されている。歴史時代に入って前10世紀ころドリス方言のギリシア人が定住,リンドス,イアリュソス,カメイロスKameirosの3市に分かれてそれぞれの国家を形成した。前5世紀には3市ともデロス同盟に加盟して年賦金を納めたが,前411年アテナイから離反した。前408年,3市は同島北端に新しくロドス市を建設して集住した。新市はヒッポダモス方式の都市計画によって建設された。アレクサンドロス大王東征のときロドスはペルシア側に立っていたため,前332年マケドニア軍の進駐を受けたが,大王の死後,解放戦争を遂行し,前305年のデメトリオス1世の攻囲も,エジプトのプトレマイオス1世と組んで翌年まで耐え抜き,デメトリオスに攻城を断念させた。ロドスは彼の残した攻城具を売却し,それを資金にロドス港にまたがる巨大な太陽神の青銅像を鋳造した。ロドスは今や繁栄の絶頂を迎え,エーゲ海域随一の海軍国となった。投荷などを規定したロドス海事法は有名である。その後ロドスはローマと結び繁栄の一路を歩んだが,前168年のピュドナの戦に際してローマの不興を買い,翌年アナトリア半島の海外領を没収された。またデロス島がアテナイ支配下の自由港となったため,ロドスの海運は致命的打撃を受けた。中世以後は1309年から1522年までヨハネ騎士団の本拠地となり,その後はオスマン帝国の支配下に置かれた。1912年イタリア軍が占領,第2次世界大戦後の47年にギリシア領となった。
執筆者:

同島の美術は,前2千年紀から跡づけることができる。カメイロスおよびイアリュソスで発見された竪坑墓からは,海の生物や植物を抽象的に描いた文様で飾られた陶器,精巧に細工された金の装身具,青銅製の武器とともに,エジプト産の練りガラス,スカラベなども出土しており,このことは,この地がクレタ,ミュケナイのみならずエジプトの影響をも受けていたことを物語っている。前10世紀ころからはギリシア文化が浸透し,美術の様式は,他のギリシア地域と同じ展開をする。アルカイク時代(前700-前500)には陶芸および金細工の分野で卓越した作品を生み,ヤギ,兎,鳥などの動物文や組紐,波形の抽象文様で飾られた白地の陶器(いわゆる〈フィケルラ陶器〉)は,ギリシア各地だけでなくオリエントにまで輸出されていた。前408年に築かれ経済的に大いに栄えたロドス市は,東地中海域における美術の中心地ともなり,彫刻家リュシッポスや画家アペレスら多くの優れた美術家がこの地で活躍した。なかでもリュシッポスの影響はこの地に強く残り,ヘレニズム時代(前330-前30)には,彼の作風を受け継いだ一群の彫刻家が,ロドス島内だけでなくギリシア各地,さらにはローマで活躍した。世界の七不思議の一つに数えられたロドスの巨像(太陽神を表した青銅像で高さ約37m。前292年ロドス港に立てられたが前227年に地震で崩壊),《サモトラケのニケ》(パリ,ルーブル美術館),《ラオコオンと息子たち》(バチカン美術館)は,彼らの作品であった。また,古い都市カメイロス,イアリュソス,リンドスは,新都市ロドスに統合されたとき,ほとんど放棄されたが,リンドスのアクロポリスは,女神アテナ・リンディアの信仰の地として以後も繁栄を続けた。今日この地に残る神殿,プロピュライア,ストアなどの建築遺構は,ヘレニズム時代の建築思想を知るための重要な資料となっている。

 ローマ時代およびビザンティン時代の美術に関しては,それを知りうる手がかりはほとんど残されていない。中世にこの島がヨハネ騎士団の根拠地となったとき,ここに西ヨーロッパのゴシック美術が移植された。この建築群は,オスマン帝国支配下(1522-1912)のイスラム文化,さらにはイタリア統治時代の擬古典趣味によって改築・補修されてはいるが,それでも今日なお,島の美しい風土のなかで特異な景観をつくり出している(ロドス旧市街,リンドスのアクロポリスの城塞など)。ヨハネ騎士団の時代の美術は,前期(1309-1480)と後期(1480-1522)に分けることができる。地元の工人を使って西方の様式を模倣した前期の美術は,素朴で力強く,そこにはビザンティン美術のなごりも見ることができる。一方,有力な騎士たちが故郷のスペインやフランスから連れてきた職人たちの活躍した後期には,繊細で調和のとれたヨーロッパ後期ゴシックの美術が花開き,この時代の終りころには,ルネサンスの様式さえ導入されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロードス島」の意味・わかりやすい解説

ロードス島
ろーどすとう
Ródhos

エーゲ海南東部、ギリシア領最東部に位置するドデカネス諸島中最大の島。Rhodosとも綴(つづ)る。面積1398平方キロメートル、人口約10万。北端の中心都市ロードス(人口5万3709、2001)はドデカネス県の県都。灌漑(かんがい)設備が普及し、比較的降水量も多く、エーゲ海諸島のなかでは例外的に植生が豊富である。気候のよい美しい島として海外からも観光・保養客を集める。東岸にあるリンドスのアクロポリス、ロードス市内のヨハネ騎士団の砦(とりで)など遺跡も多い。

[真下とも子]

歴史

定住の最古期はミケーネ時代にさかのぼるが、紀元前10世紀ごろドーリス系ギリシア人が入ってヤリソスIalysos、カメイロスKameiros、リンドスLindosの3ポリス(都市国家)が並立した。植民時代の動きは活発で、小アジア南岸やシチリア方面に植民した。デロス同盟には3市とも加盟したが、前411年離反した。前408年3市は統合して島の北端に一つのポリスをつくりロードスを名のる。同市が脚光を浴びるのはヘレニズム時代で、デメトリオス1世の攻囲(ために彼は「ポリオルケーテース(攻城者)」の異名を得た)を耐え抜き、それを記念して市神ヘリオス(太陽)の青銅コロッソス(巨像)を建てたが、これは古代に七不思議の一つに数えられた(前227/226年に倒壊)。詩人アポロニオスが長期に滞在し、トロヤの神官とされる神話中の人物ラオコーンの像も当市で発見された。地中海貿易の一中心として繁栄をほしいままにし、エーゲ海一の海軍力をも擁した。海運隆昌(りゅうしょう)の名残(なごり)はその海商法にみられ、ビザンティン帝国時代まで国際法なみに襲用された。共同海損の観念もすでにある。ローマがデロスを自由港にしたため(前167)殷賑(いんしん)を奪われ、ローマ治下に推移する。中世以降近代まではビザンティン帝国領、ヨハネ騎士団領、オスマン帝国(トルコ)領、イタリア領(1912~1946)を経て、第二次世界大戦後ギリシアに帰属した。

[金澤良樹]

世界遺産の登録

中心都市ロードスの旧市街が1988年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「ロードス島の中世都市」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部]

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世界遺産情報 「ロードス島」の解説

ロードス島

すぐ東にはトルコが控えているロードス島は、古代遺跡や中世の建造物を残すエーゲ海でも人気のリゾート地です。島の中心ロードス・タウンは、14〜15世紀にかけて活躍した十字軍の聖ヨハネ騎士団が割拠とした旧市街と、その周辺に広がった新市街に分けられます。旧市街地の見どころは騎士の宮殿や、島内から出土した品々を展示してある考古学博物館。その他、蝶が乱舞するペタルデスやアクロポリスの残るリンドスなども名所となっています。

出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ロードス島」の解説

ロードス島
ロードスとう
Rhodos

古代ギリシア時代に繁栄したエーゲ海東方にある島
前408年ロードス市が建設された。ヘレニズム時代には独立の貿易国として繁栄したほか,学問研究の中心地の1つとなり,世界七不思議の1つである巨像が造られた。14世紀にも東方貿易の根拠地として栄え,1522年にはオスマン帝国領となった。第二次世界大戦後の1947年よりギリシアに帰属。

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