改訂新版 世界大百科事典 「イレネ」の意味・わかりやすい解説
イレネ
Irēnē
生没年:752-803
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかしアリウス問題の根本的解決にはいたらなかった。 第2ニカエア会議は,第7回公会議にあたり,787年にイコノクラスムの解決のためにビザンティン皇妃イレネによって召集された。この会議は,イコン破壊派が開いたヒエリア会議(754)の決議を取り消し,イコン崇敬は神に対する真の崇拝とは区別すべきであるとして,イコン崇敬を擁護した。…
…しかし両帝が開始した宗教政策イコノクラスム(第1期726‐787,第2期813‐843)は,対内的に混乱を招く一方,ローマ教皇庁との断絶を生み,報復措置としてビザンティン側はシチリア,カラブリア,イリュリアの教会管轄権をローマからコンスタンティノープルに所属替えした。またラベンナがランゴバルド族の手に落ちた(751)結果,コンスタンティノス5世は西方の実力者,フランク国王ピピン3世と結んでイタリアの事態を収拾しようとし,イコン崇拝を復活したイレネ(在位797‐802)は,ローマ皇帝に戴冠されたピピンの息子カール大帝と新しい関係に立った(中世キリスト教世界の2皇帝問題)。 イコン崇拝の最終的復活(843)は,政治的,文化的にも,暗黒時代を乗り越えたビザンティン帝国の出発点を意味した。…
…フランク王国側は,790年代初頭,〈カールの書〉を公表して,ビザンティンの〈王〉に対し,フランクの〈王〉の対等性の主張を掲げていた。他方ビザンティン帝国では,コンスタンティノス6世の摂政として実権を握っていた母后イレネが,797年息子の皇帝を廃位して,自ら帝位に就くという異例の事態が発生していた。女帝支配の合法性についてはビザンティン帝国内部にも異論が多く,各地で反乱が生じつつあった。…
※「イレネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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