南太平洋の東部にある島。パスクア島Isla de Pascuaまたラパヌイ島Isla de Rapa Nuiともよばれる。面積180平方キロメートル。南回帰線のわずか南の南緯27度08分、西経109度26分、チリの海岸から約3800キロメートル西方に位置する。先住民が残した多くのモアイとよばれる巨大な石像をはじめとする遺跡の島として有名である。1722年4月5日の復活祭(英語ではEaster、スペイン語ではPascua)の日に、オランダの軍人ロッヘフェーンJacob Roggeveen(1659―1729)により発見されたのにちなんで、イースター島あるいはパスクア島の名でよばれる。1888年チリ領となり、現在は同国の第5地域(バルパライソ)に属している。
東太平洋海嶺(かいれい)が東へ西チリ海嶺を派出する地点に生じた火山島で、三角形の輪郭をした島は20余りの火山群で構成されているが、活火山はない。これらのうち三角形の各頂点に位置する三つの火山がもっとも大きい。すなわち、東の角のプアカチキ火山、北端にあり標高450メートルで島内最高峰のラノアロイ火山、および南西端にあり直径1キロメートルほどの火口をもつラノ・カウ火山である。プアカチキ火山西麓(せいろく)にあるラノララク火山の火口は先住民たちがモアイを製作した地であり、とくに多数のモアイが並んでいる。島の気候は温暖、亜湿潤な亜熱帯気候で、年平均気温は20℃、最暖月(2月)24℃、最寒月(8月)18℃と気温の年較差が小さい。2月から9月にかけてが雨期にあたる。
1850年代以前は4000人前後の島民がいたが、天然痘の流行や奴隷として島外に連れ出されたため激減し、チリの領土となった1888年ごろにはわずか180人だったといわれる。現在では、約1600人の住民がおり、その4分の1がチリ本国からの白人である。島民の大部分は島の西岸にあるアンガ・ロアの町に住む。わずかばかりの畑には自給用のタロイモ、サツマイモ、キャッサバなどの作物がつくられ、ユーカリの茂みが点在する低い丘陵地の草原ではヒツジが放牧されている。1967年、イースター島経由のサンティアゴ―タヒチ島間の航空路が開設されて以来、多くの観光客が同島を訪れるようになった。1月から2月にかけてが観光の最盛期。遺跡などの保護のため島の3分の1の地域が国立公園(ラパヌイ国立公園)に指定されており、また島の出入りの際には厳重な植物検疫が実施されている。ラパヌイ国立公園は1995年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[松本栄次]
オランダ船アレノア号によって1722年に発見されて以後、多くの探検家たちがイースター島を訪れたが、初めて学術的な調査を行ったのはノルウェーの人類学者ヘイエルダールであった。彼はマルケサス諸島の巨石像と南アメリカの巨石文化を互いに関連するものと考え、インカ時代の舟を復原して(コン・ティキ号)、1947年にペルー海岸からツアモツ諸島に航海した。そして1955~56年にかけて、イースター島のモアイの立つアフとよばれる宗教遺跡の調査を行った。アフは切り石を前方に積み重ね海側を高くした30メートル×100メートルほどの台座上に、石像を1~15個ほど1列に並べたもので、イースター島ではこのようなアフが200以上確認されている。石像では高さ約10メートルのものもある。
イースター島の文化は前期(400ころ~1100ころ)、中期(~1680ころ)、後期(~1800ころ)に三分されている。前期は移住期で、アフも構築されているが石像は小さなものであった。中期は石像がもっとも発達した時期で、アフも修復され、最大のもので80トンもあるモアイがつくられている。後期に入ると部族間の戦争が激しくなり、人口も急減して、石像は倒されアフは墓地となった。モアイは島の南東にあるラノララク山の旧噴火口内で、壁面に露出している凝灰岩を利用してつくられた。この石切り場には未完成のモアイが数百個体放置されている。また島内各地に散在するアフまでの運搬も大事業であったと思われ、アフに至る通路にも、運搬途中で失敗して、頭部を欠いたモアイが放置されている。
イースター島の先住民はポリネシア系の民族と考えられている。ポリネシア民族の源流は、一般には東南アジア、インドネシア方面に求められ、ミクロネシア、西ポリネシアを経て、紀元前後ごろに東ポリネシアの諸島に移動が始まったとされている。しかしヘイエルダールは、探検家たちの先住民観察報告や、モアイの風貌(ふうぼう)などから、コーカサス系人種との関係を強調した。
[寺島孝一]
『マジェール著、早津敏彦他訳『イースター島の巨石文明』(1972・大陸書房)』▽『ヘイエルダール著、山田晃訳『アク・アク――孤島イースター島の秘密』(社会思想社・現代教養文庫)』▽『A・コンドラトフ著、中山一郎訳『イースター島の謎』(講談社現代新書)』▽『森本哲郎著『イースター島――遺跡との対話』(平凡社カラー新書)』
南太平洋,ポリネシア東端にある島。南緯27°08′,西経109°26′に位置する絶海の孤島である。1722年,オランダ人ロッヘフェーンJacob Roggeveenが復活祭の日に発見したことにより命名された。70年スペイン領とされ,1888年以来チリ領となった。チリにおいてはスペイン語でパスクアPascua島,ポリネシア系の島民はラパ・ニュイRapa Nui島とよぶ。植生にとぼしい火山島で,草原が卓越している。面積約120km2。人口約2000人(1988)のうち,チリ本土から一時的に赴任する官吏等を除く永住人口は約1800人である。人口のほとんどは,唯一の町であるハンガ・ロアHanga Roaに居住する。サンチアゴおよびタヒチとは定期航空便によって結ばれている。全島がチリの国立公園に指定されており,島の収入の第1位は観光収益で,第2位が牧羊業である。
観光客を引きつけている巨石像や石造の祭壇等の遺跡は,南米から移住した先住民が建造したとするヘイエルダールらの説もあるが,現在の学界では否定されている。島民の祖先たちの言語,文化,社会組織,栽培作物などは,他のポリネシア人と共通するものである。考古学的調査によると,4~5世紀ころに,マルキーズ諸島方面から移住してきたポリネシア人が島民の祖先と考えられる。伝説によれば,ホッマッアという名の首長に率いられて,作物を積みこんだ船で移住してきたとされる。伝統的栽培作物のおもなものは,タロイモ,ヤムイモ,サツマイモ,インドクワズイモ,サトウキビ,バナナであり,飼養する動物は鶏だけであった。他のポリネシア社会と同様,貴族,神官,戦士,召使と農夫の4階級からなる階層社会が成立し,ホッマッアの血統を引く貴族階級が村々の首長であり,その上に王がいたといわれる。伝承を信用すれば,王はタブーやマナに守られた神聖王としての性格が強い。
アフとよばれる石造の祭壇遺跡が約300発見されている。アフは中央および東ポリネシアでマラエとよばれる長方形に石を配置した儀礼用の祭壇に起源するものと考えられる。6世紀になるとモアイとよばれる石像が島内各地で作製されるようになる。モアイは,マラエの上に置かれた木製の祖先像を石でつくるようになったものと考えられる。11世紀になると,ラノ・ララク火口壁の凝灰岩を玄武岩製の打製握斧で彫刻した高さ5~7mの巨大なモアイがつくられる。モアイは製造地から,遠いときには十数kmの距離を運搬され,アフの上に,ときには数体が建立され,モアイの頭部にはプカオとよばれる火山岩製の帽子状のものがのせられた。
モアイが盛んにつくられた12~15世紀には,島の人口は1万人前後に達したものと推定されている。16~17世紀になると,過剰人口のため自然生態系が破壊され,森林の消滅にともなう土壌流出などに原因する食糧不足がおこり,村ごとの内戦が繰り返されるようになり,モアイの製作は中止され,敵の村のモアイを引き倒すことが行われた。内戦期に実力をもつようになった戦士の階級は,貴族階級の祖先像であるモアイの崇拝にかえて,鳥の頭と人間の胴体をもち,島の最高神であるマケマケ神の化身であるとされる鳥人の信仰にともなう儀礼を行うようになった。鳥人儀礼の中心地オロンゴ岬には,鳥人を岩に刻線で彫刻したもの,儀礼用家屋などの遺跡が残されている。鳥人儀礼にともなう呪文を木版に刻んだ絵文字ロンゴロンゴが製作されたが,この文字は未解読である。
内戦期に人口の減少が始まったが,その後白人と接触後,島民はペルーのリン鉱石採掘のための奴隷狩りの対象とされたり,天然痘や肺結核が蔓延したりして,人口は激減し,1877年には最低の111人になった。その結果文化の伝承が絶え,この島が謎の文化の地とされるようになったのである。現在の島民は,白人,タヒチ島民,中国人などとの混血がほとんどで,純粋のポリネシア人はほとんどいない。
執筆者:石毛 直道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…詳細は〈アボリジニー〉の項目を見られたい。 ポリネシア東端のイースター島の巨石人像は,一部でいわれるような南アメリカ起源のものではなく,アジアの巨石文化に由来する。いずれも凝灰岩製で,頰骨,鼻,眉が突出し,目にはもと白いサンゴ石と赤い凝灰岩でつくられた眼球が入れられていた。…
…南太平洋,東ポリネシアのイースター島で19世紀半ばまで行われた社会的,経済的,呪術・宗教的祭礼。毎年8月から10月にかけて同島南西沖のモトゥ・ヌイ小島に産卵にくるクロアジサシの卵を最初に手に入れようと,各部族の長はホプと呼ばれる特別の召使を小島に送って競い合う。…
※「イースター島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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