ウォルドロン(読み)うぉるどろん(英語表記)Mal Waldron

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウォルドロン」の意味・わかりやすい解説

ウォルドロン
うぉるどろん
Mal Waldron
(1926―2002)

アメリカのジャズ・ピアノ奏者。本名マルコム・アール・ウォルドロンMalcolm Earl Waldron。ニューヨークに生まれ、音楽好きの父親の影響で幼児期からピアノをたしなみ、1946年に軍隊から戻ると、ニューヨークのクイーンズ・カレッジで社会心理学と音楽を学ぶ。1949年、卒業とともにプロ・ミュージシャンの道を歩み、1953年にかけてサックス奏者アイク・ケベックIke Quebec(1918―1963)や、リズム・アンド・ブルース・バンドの伴奏者を務める。1954年から1956年の間、ベース奏者チャールズ・ミンガスのバンドのレギュラー・ピアニストとなり、ミンガスの代表作『直立猿人』(1956)など、多くのレコーディングに参加する。

 1957年に伝説的ジャズ・ボーカリスト、ビリー・ホリデーの伴奏者となり、彼女が1959年に死ぬまで行動をともにする。ホリデーが歌った名曲レフト・アローン」をアルバムのタイトルとした、ウォルドロンの1959年のアルバム『レフト・アローン』は彼の代表作である。また1950年代後半はプレスティッジレーベルのハウス・ピアニスト(専属ピアニスト)として、おびただしい数のレコーディングにサイドマンとして参加している。1961年、ごく短期間しか存続しなかった、サックス奏者エリック・ドルフィーとトランペット奏者ブッカー・リトルBooker Little(1938―1961)の双頭バンドにサイドマンとして参加。同時期ジャズ・ボーカリスト、アビー・リンカーンAbbey Lincoln(1930―2010)、その夫であるドラム奏者マックス・ローチのサイドマンも務める。

 1960年代は映画音楽も手がけ、1963年の映画『クール・ワールド』、1965年の『マンハッタン哀愁』は日本でも公開された。1965年ヨーロッパに渡り、1967年には当時の西ドイツミュンヘンに居を構え、ヨーロッパ各地で演奏活動を行う。ちょうどこの時期、ミュンヘンを拠点とする新しいジャズ・レーベルが相次いで誕生した。1970年にマンフレート・アイヒャーManfred Eicher(1943― )によって設立されたECMレーベルと、1971年ホルスト・ウェーバーHorst Weber(1934―2012)によって設立されたエンヤ・レーベルである。面白いことにドイツ人によって作られたこれらのレーベルの最初のアルバムが、ともにウォルドロンの作品である。それらは、1969年に録音された『フリー・アット・ラスト』(ECM)と、1971年に録音された『ブラック・グローリー』(エンヤ)である。またこの時期以降、とくに日本人ファンに人気の高いウォルドロンを、日本のレコード会社がレコーディングする企画が増える。1980年代はヨーロッパとアメリカを往復しつつ演奏活動を行い、レコーディングも多数に上っている。

 代表作に1958年の『マル4』、1966年の『オール・アローン』がある。彼のピアノ奏法は基本において「モダン・ジャズ・ピアノの開祖」といわれたバド・パウエルの流れを汲むものだが、独特の素朴ともいえるタイム感覚と、黒人的情念を思わせる哀愁を帯びたフレーズによって、「日本人好み」という評判を得た。しかしヨーロッパでの高い評価からも理解できるように、こうした特質は彼のオリジナリティ発露の結果である。

[後藤雅洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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