ドルフィー(読み)どるふぃー(その他表記)Eric Allan Dolphy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドルフィー」の意味・わかりやすい解説

ドルフィー
どるふぃー
Eric Allan Dolphy
(1928―1964)

アメリカのジャズアルトサックスバスクラリネットフルートの奏者。ロサンゼルスに生まれ、ドイツのベルリンで死亡した。小学生だった1937年からクラリネットを学び、やがて数種の楽器も習得した。40年代後半にいくつかの楽団に参加し、50年から2年間は陸軍バンドで演奏した。その後ジェラルド・ウィルソン楽団、バディ・コレット楽団を経て58年にチコ・ハミルトン五重奏団の一員となって、広く注目された。60年3月にチャールズ・ミンガスのグループに加入した。このころオーネット・コールマンと知り合い、彼のアルバム『フリー・ジャズ』で共演した。61年に自身のグループでニューヨークの「ファイブ・スポット」に出演し、その実況録音アルバムは歴史的名盤となった。彼は主流モダン・ジャズからフリー・ジャズまで幅広く活躍し、異色のサウンドフレージングで知られ、いまもって名声を得ている。

青木 啓]

『ウラジミール・シモスコ、バリー・テッパーマン著、間章訳『エリック・ドルフィー』(1983・晶文社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ドルフィー」の意味・わかりやすい解説

ドルフィー
Eric Allan Dolphy
生没年:1928-64

アメリカの黒人ジャズ・サックス奏者。ロサンゼルスに生まれ,9歳でクラリネットを始めた。1960年にチャールズ・ミンガスのグループに属し,またその後オーネット・コールマンと出会って,二人から強い影響をうけた。エリック・ドルフィーはアルト・サックス,ベース・クラリネット,フルートといった楽器をもちかえつつオーネット・コールマンに続いて現れたフリー・ジャズ期の代表的プレーヤーである。根っからの前衛派ではなく,チャーリー・パーカーを出発点として,エモーションを自由に吐露できるフリー派へと突き進んだ。代表作としては,ミンガスのグループで1960年に吹き込んだ《ミンガス・プレゼント・ミンガス》(キャンディド)や,《オーネット・コールマン/フリー・ジャズ》(アトランティック),《アウトワード・バウンド》《ファイブ・スポットのドルフィー》(ともにプレスティッジ),《ラスト・レコーディング》(マーキュリー)など。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ドルフィー」の意味・わかりやすい解説

ドルフィー

米国のジャズ演奏家で,バス・クラリネット,アルト・サックス,フルートなどの複数の楽器をこなした。1960年代に新しいジャズのスタイルを求めて活躍したジャズ・ミュージシャンの一人。J.コルトレーン,O.コールマンなど多くの奏者と共演・録音をしたことでも知られる。伝統的手法との調和を保ちつつ,前衛的効果を取り入れていくというスタイルによって,ジャズの新たな方向性を模索した。トランペット奏者のブッカー・リトルBooker Little〔1938-1961〕と組んだ作品《ファー・クライFar Cry》(1961年)は,傑作との声が高い。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドルフィー」の意味・わかりやすい解説

ドルフィー
Dolphy, Eric

[生]1928.6.20. ロサンゼルス
[没]1964.6.29. ベルリン
アメリカのアルトサックス,バスクラリネット,フルート奏者。 R.ポーター楽団,G.ウィルソンらのバンドを経て,1958~59年 C.ハミルトン・クインテットに参加,60年に初のリーダー作『アウトワード・バウンド』の録音を行う。 61年 O.コールマンに影響を受けてフリー・ジャズへと向い,B.リトル,M.ウォルドロンらとクインテットを結成。また,同年より 62年まで J.コルトレーン・クインテットにも参加してヨーロッパ公演に同行し,64年 C.ミンガスと再び渡欧した際にはそのままとどまって演奏活動を行なった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android