移民問題(読み)いみんもんだい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「移民問題」の意味・わかりやすい解説

移民問題
いみんもんだい

過剰人口国から過少人口国への移住は,移民自身にとっても,また出移民国,入移民国双方にとっても利益といえるが,大量の移民の流入は,特に受入れ国の人種問題,労働問題などに大きな影響を与えることから,各国とも社会上,政治上および経済上の諸条件に基づいて幾多の規制を行なっているのが現状である。世界人権宣言は移住の自由を人間の基本的人権の一つとしているが,これはあくまでも受入れ国の政策の許す範囲内でのことである。一般に入移民国が行う移民制限には量的制限と質的制限とがある。前者はアメリカの「割当法」のように自国入国する移民の年間数を過去の実績に基づいて国ごとに一定し,無制限な移民の入国を許さない方法である。後者は,人口収容力のいかんにかかわらず外国移民を選択し,質的制限を加える方法で,ややもすれば人種,宗教国籍などを基準として差別待遇を行うことが多く,たとえば第2次世界大戦前におけるアメリカのアジア人移民排斥のように,国家間の激しい対立に導かれる例も少くない。人種的差別の極端な例としては,オーストラリア白豪主義などがあげられる。最近では,ドイツなど西欧諸国で移民労働者に対する差別的措置導入が大きな政治問題になっている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「移民問題」の解説

移民問題
いみんもんだい

明治時代以後の海外移民にまつわる政治問題
組織的移民は1868年のハワイ移民に始まるが,'85年以後,ハワイ・北アメリカを中心に盛んとなる。その後北アメリカの排日運動が激化し,1907〜08年日米紳士協約で制限をうけ,'24年排日移民法で禁止された。以後,ブラジル移民が中心となり,満州事変以後は大量の開拓移民が満蒙へ送られた。第二次世界大戦後は1952年から移民が再開,ほとんどがブラジルを対象としていた。のちカナダは'62年,アメリカは'65年,それぞれ移民法を改正して受入れ体制ができた。

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